ネオリベは虐げられてきた女性たちを解放した
香山 もうそれぞれの信じる道というかスタンスでやっていくしかなくて、その人たちが結集することはあまり考えない?
湯浅 そこですよね。香山さんも本のなかで「リベラル派知識人の責任」ということを書いていましたけど、私は、そこが、リベラルと言われる人たちが一番失敗したところ、まさに肝だと思います。それぞれの違いを役割として認め合う。そのための作法みたいなものをどうつくるか。自分について言えば、かつての私と今の私が対立しないようにすることが大事だと思うんです。でもリベラルの人たちはそれをしてこなかった。
1970年前後の学生運動の時期に、女性問題、障害者問題、高齢者問題、外国人問題など、どこに軸足を置くかで、民主化を求める人たちの中で、さまざまな差異が出てきた。
香山 マイノリティにまなざしを向けるという点では、問題意識を共有できたはずなのに。
湯浅 そう。でも結局彼らは、それらをうまく共存させる作法を見いだせなかった。批判と対立、細分化、果ての果ては内ゲバ。それがリベラリズムの失敗だったと思います。
そのあとで、ネオリベラリズム、新自由主義が台頭してきたのは、私はある種の必然だったと思います。香山さんは本の中で、ユニクロの障害者雇用の話を取り上げていますよね。ユニクロのような、「成果を上げて会社に貢献してくれる人なら、障害者でも女性でも外国人でもまったくかまわない」という方針は、能力があるのに虐げられてきた女性などには朗報だったはずです。
「市場で生き残れるかぎり」という条件はつくわけですが、性別や出自を問わない、国籍も問わないというあの解放感は、かつてのリベラリズムの失敗があったからこそ受け入れられたという面がある。そこがリベラリズムとネオリベラリズムの接続面。
香山 そうですよね。年功序列とか、コネとかにまったく関係なく、実績で評価されることは、能力がある人にとってはすばらしいことだった。だけれど同時に、能力がなかった人には大きな問題が生じた。
湯浅 「市場的な」能力の格差ですね。市場的な価値がなければ、今度は逆に男だろうが、年長だろうが、落ちていってしまう。
香山 そう。どんなに誠実で地道な努力を続けても、市場的な成果を上げなければ評価されない。
湯浅 ネオリベラリズムには、勝ち組・負け組の格差が生まれるという問題は内在するけれど、女性も障害者も外国人も同じ土俵で評価されるというシンプルな求心力がある。そのことと、かつてリベラリズムが求めた多様性をいかに共存させるか。私たちはその問題を引き受けなくちゃいけなかったんだけど、それが苦手なまま来てしまった。
本当の問題は、どちらの路線が正しいのかということじゃなくて、多様性と求心力の両立に、私たち自身が成功してないところにあるんだと思います。だから立ち位置の違いが、「対立」になってしまう。民主党政権の失敗も、つまるところは、そういうことだったんじゃないかな。
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