イタリアンの貴公子・鴛永久一。おしゃべりシェフとして注目され、テレビのバラエティ番組にも頻繁に出演していた。ライオンの口に頭を入れたり、ピラニアと一緒に遊泳したり、芸人顔負けの体を張った企画にチャレンジをし、いつもお約束のセリフを決めていた。
『死んじゃうよ!』
そんな彼が死んでしまった。
どうりで隣家の前が騒がしいはずだ。
彼がプロデュースすると、コンビニのお弁当や冷凍パスタなど、なんでも飛ぶように売れていた。
『まな板の上の初恋』『包、丁かい』『カキクコ・ケトル』『ドン・フライパン』など、ネーミングセンスに疑問を感じるキッチン用具まで、ヒット商品となっていた。
「今、速報が入ってきました」
レポーターがメモに目をやり落ち着いた口調で語りかける。
「鴛永さん夫妻殺害に使われた凶器は、包丁ということが判明しました。なおその包丁は、鴛永さん自身が発案した『包、丁かい』ということです」
ほう、そうかい。
この速報を聞いて、テレビの前で何人の人がワタシと同じツッコミをしただろう。他人の死など、ましてや有名人の特殊な死に方など、単なるネタにしかならない。『死』なんてものは、身近に感じないと恐怖でもなんでもないものなのだ。
「奥さまは寝室で仰向けのまま動かなくなっていたそうです」
何も感じない。ワタシが会釈した時に挨拶を返してくれていれば、少しは親近感も湧いていたのに。
お腹がすいてきた。
悲しいことなのか、喜ばしいことなのか、何があってもお腹はすく。
もうテレビは消そうか。
今、ワタシの目の前に、昨日から出しっぱなしのおせち料理が並んでいる。ソファー前のテーブルに。今年はちょっと贅沢をしようと思い買った、5段重ねの高級おせち料理。夫に冷やかされながらも、ネットで比較し、値段は気にせず、2人にとって一番合いそうなものを注文した。
決め手はキャッチコピー。
『古き良きあの頃を、思い出させるようなおせち料理です』
結婚して10年という節目の年。夫と歩んできた道のりを、一緒に振り返りながら新年を過ごしたい。そう考え選んだ。
そして、そのおせち料理に付けられていた名前が、
『オー・センチメンタルおせち』
プロデュースしたのは鴛永久一。
今日、殺された人のおせち料理。
食べる気がしない。
昨夜、夫と一緒に食べたが、今はまったく。
でも食べる気がしないのは、作った本人が殺されたからじゃない。何よりも、おせち料理の味付けが、殺意を抱くほどおいしくなかったから。
あまりのまずさに、ワタシと夫は口論になった。喧嘩などしたこともなかったワタシたちが。
「高い金出して、なんだよこんなまずいもん。こんなんだったらいつもみたいに俺が作ったよ」
「毎年作ってくれるのは嬉しいけど、あなたが作るのっていつも一緒じゃない」
「はあ? 高い食材使ってこんな味かよ」
「ネットではおいしいって書いてあったんだもん」
「ネットネットって、ネットで死ねって書いてあったらお前は死ぬのか?」
「いいわよ。そしたらあなたを殺して死んでやるわよ」
「ふざけるな」
些細な争いごとだった。本当に小さな。
その後夫は、「ちょっと、ゴミを捨ててくる」と言い、どこかに消えてしまった。行き先も分からない。帰ってもこない。
夫の長財布がおせち料理の向こうに投げ出されている。
財布を開け、中を見てみる。1万円札が2枚に、千円札が6枚入。それと一緒に、ホームセンターのレシートが1枚。
日付は12月30日。
購入した商品名は『包、丁かい』。
ワタシが夫に頼んだものだけど、まさか……。
玄関の呼び出し音が鳴る。しつこいくらい何度も。インターフォンの受話器を取り、モニターを見る。見たこともない、ビジネスコートを羽織った男が2人。
「どなたでしょうか?」
「あ、奥さんですね」
「はい」
「警察の者ですが、お隣のことで少しだけ話を聞かせてもらえますか」
何も話すことなどないけど、ドアを開けないと面倒なことにもなってしまいそうだ。
「どうぞ」
玄関のドアを開ける。男がすばやく中に入り、ワタシの両脇に立ち腕を掴む。
「署までご同行願えますか」
体中の血液が逆さまに流れていく。
「あの……主人が何か」
「ご主人、先ほど遺体で発見されました」
「え……」
体内を逆流する血液に促され、記憶も時間を遡っていく。
「他殺です」
「ご主人、自分で歩いていったんですかね。凶器の包丁も持っていましたよ」
「凶器……の」
「奥さん、服も着替えず、返り血も拭かず、家に戻っていたんですね」
そうだった。忘れるところだった。
ワタシは包丁で主人を刺し、隣人も殺した。
犯人はワタシだった。
誰もいなくなった家。誰もいなくなったリビング。ついたままのテレビからニュースが流れていた。レポーターが、お決まりの険しい表情で犯行の経緯を語る。
「口論の末、夫を刺した初子容疑者は、隣に住むイタリアンシェフ鴛永久一さん宅に侵入しました。そして、キッチンにいる鴛永さんを殺害、寝室で寝ている奥さまにも凶器の刃を向けたのです」
画面に、二つの家が映し出されていた。一軒は白い塀で囲まれた大きな屋敷。もう一軒は、その隣に建つこじんまりとした洋風の建売住宅。
「初子容疑者の夫、正賀さんは、自宅で刺された後に、自力で発見された現場まで歩いていった形跡があります。ただ、どうして歩いていったのか、また、なぜ、凶器となった包丁を持っていたのかは未だ謎を残すところです」
刑事に教えられ、夫がとった行動を初子は知った。夫がどうしてそのような行動をとったのか、初子には分からなかった。
「現在、初子容疑者は、動機についてこう供述しています。『おせち料理がまずかったからいけないの』と。現場からは以上です」
スタジオでレポートを受けたキャスターは、表情一つ変えず言葉を発した。
「次のニュースです」
テーブルに並べられていたおせち料理が、カラカラに干からびていた。
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うたかたパンチ
お笑いコンビ「松本ハウス」の松本キックが、日常に紛れる些事を凝視し昇華。あくまで真面目、でも不思議、そしてちょっと天然なエッセイ。