昨年2月に公開され、瞬く間にその評判がネットに駆け巡り、連日満席の大ヒットとなったカンパニー松尾監督の『劇場版テレクラキャノンボール2013』。大好評のなか、1月31日にはDVDも発売されました。本作品は、AV監督5人が、テレクラやナンパで出会った素人女性とセックスし、それをカメラに収めて点数を競うといういわばAV監督頂上決戦。しかし、男性が相手の女性に点数をつけるというスタイルには、厳しい目を向けたくなる女性も少なからずいたようです。男性社会の“競争”に注目した新刊『男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋』(KADOKAWA)を発売したばかりの湯山玲子さんもそのお一人でした。手加減なしの全4回です。(構成:須永貴子)
男から女へのマウンティングにショックを受けた
湯山 私の教え子の中で、草食代表のようなキャラの男子がひとりいて、彼が「素晴らしい映画に出合いました! これを大学で自主上映してオトコになります!」と奮起して、本当に実現にこぎ着けたんですね。その回は都合が付かなくて、後日多摩映画祭のひとつとして上映された時に足を運んだんですが、いやあ、会場全体が笑いと興奮に包まれる中、私は腕組みをして、怒りで怒髪天を突いていましたよ(笑)。世の中のポルノ・グラフィーの大半がそうだとわかっていたこととはいえ、女性を蔑視することが、こんなにも勃起の動機となり、マウンティングして順位付けすることで欲情を掻き立てるストーリーがいまだにこんなに強固なのか、と。キャノンボールというゲーム性のあるエンターテイメントの形式ゆえにしょうがない、ということはわかるのですが、実際、デブで50代という私が出演したら、マイナス100点で、劇中行われる報告会で「よくこんなオンナとやれたよね」とネタに上がるだろうし(笑)。見てからだいぶ時間がたった今は、自分になぜあれほど怒りが湧きあがったのかということ、そして、なぜ、あれほど見られたのかに興味が出てきています。
松尾 今日は、怒られる覚悟はしてきました(笑)。得点方式と、「男性にマスターベーションをしてもらう」というAVの主な目的が重なった結果、ああなりました。10時間あるAV作品を劇場版に編集して公開するのは、僕はすごく怖かったんです。もともとはAVファンだけに向けたものを、普段AVを見ない人がどう見るのか。しかも女性を笑いものにする編集にしちゃっているので、最初から非常に心配でした。一人の人間として、この映画ってちょっとな……という自覚は重々あります。ただ、競争という構造だけだったらこんなに多くの人はついてこなかったと思います。たとえば、ナンパ王座決定戦という形のAVをつくると、どんな女を捕まえて何をするかで終わるから、すごくつまらなくなるんです。僕はただの腕っ節比べにはしたくなかった。『テレキャノ』の出演者はお互いをリスペクトしながら競争していますし、自分のためじゃなく、競争相手にも見せ場を作ってあげるというベクトルが面白がってもらえたのかなと思います。
湯山 導入とエンディングに、「つまらない大人にはなりたくない」というアウトサイダー的なナレーションが入りますよね。コンプライアンス上等の世の中と真逆のこの企ての破天荒さを指した言葉だと思うのですが、参加したAV監督たちは、私から見ると、日本の会社や官僚や受験戦争システムを継いでいる男性の集団原理、ホモソーシャルをなぞっているだけ。勝負の形を取ってはいるけど、「俺たちのグループ感」「連帯感」のほうが面白くなっちゃっている。そのグループにさすがと言わせたいために、極端なこともやってしまう。そのエスカレート具合は、モーレツサラリーマンや、ブラック企業存続の論理と同じ。上からの命令ではなく、「彼らは自分から進んで、残業を望んだんです」っていうヤツ。それ以上に、今の若い男性って、体育会系や職場の絆、グループでの男同士の結束関係を体験しない率が高くなっているから、『テレキャノ』に漂う、失われてしまった男組織のノスタルジーに感動しているんだと思いますよ。
松尾 たしかにそれはありますね。僕がそういうエモーショナルなテイストを入れて作品をまとめたくなる監督でもありますし。あの台詞がなくても、ゲームの勝負がつけば成立はする。でも、ああいう形で、ちょっと気持ち悪いかもしれないけれど、男の青春映画みたいな仕上がりになったのは、僕の願望が入っているのかもしれない。「つまらない大人になりたくない」は佐野元春の歌詞なんです。気取ってるわけでもなくて、現実が大変だから、気持ちだけでもそうありたいというロマンなんです。
湯山 それに対しては否定も肯定もないです。この映画でも明らかなのですが、男の人って本当に、集団にいると生き生きして、強力になりますよね。個人個人だと弱々しく見えるようなタイプも、集団になると俄然輝く、という。
松尾 マンモスが一頭いたら、男は100人くらいで走って追いかける。みんなで捕獲して、一年間、みんなでわけあって食っていく。途中に木の実が落ちていても拾わない。
湯山 実は、おカネ、経済の面から言うと、その木の実を拾って高く売ることの方が勝者になるんですけど、そういうひとり行動は、裏切り者ですからね。みんなと一緒に倒すことが大事。『テレキャノ』にはそういう男性の集団性という強力な骨がありますね。
松尾 なんで一直線にマンモスに向かっていけるんでしょうね。僕らの世代だけでいうと、野球もありましたし、みんなで遊ぶのが好きでした。野球は下手な子もいれないと数が足りないから対戦できない。みんながエースで4番じゃない。うまい人が活躍するのは当たり前で、弱い人や下手な子が予想外の活躍をしたときにドラマは生まれる。
湯山 それはわかる。おもしろいことに、私は体育会系のバスケットボール部にいたことがあるんですが、けっこうみんなは冷めていたなあ。もちろん、そういうドラマもあるんだけど、それほど集団内で熱狂できないんですよ。みんな、部活動以外の遊びグループは、別だったりしたし。その分断っぷりが、逆に女の問題だったりもするんですが。
松尾 『テレキャノ』に出演するAV監督の年齢の幅が広くて、僕らより10歳下の(タートル)今田くんや(ビーバップ)みのるくんたちからファミコン世代になるんです。そこには明らかに違いがありますね。僕らは下手な子をまぜてなんとか遊んできたけれど、彼らは一人ひとりが最高点だけを争う個人戦。最高点がでなければリセットして、そのゲームはなかったことにしてしまう。俺に言わせるとそれは成果主義で個人主義。自分が最高点を出さない限り、5人でゲームをしていても満たされない。でも、僕らは自分が活躍できなくても、「下手くそなあいつが初めてヒット打てたし面白かったよね」という遊び方。こいつらは仕事では、「俺がやりました!」と自分の手柄を堂々とアピる世代。優秀なふりがうまいんです。
湯山 たとえば、ニッポン男子の競争の最大スキームは東大中心のヒエラルキーでしょ? そこではほとんどの人が負けるのに、「俺は負けていない」という理由を見つけていくのはきついよね。「東大、それが何か?」という域なんて、仕事の実力の世界ではすぐに達せそうなのに、その”負け感”が人生に影を落としている男性は世代を超えて大半だと思うけどなあ。
松尾 でも、自分にとって有利なデータを見つけて、利用して、アピールするのがファミコン世代はうまいですよ。
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