――おふたりの著書それぞれに寄せられる生の声をAmazonのレビューやSNSなどで観察していると、明らかな違いがあると感じました。『最貧困~』の年若い少女たちに〈自己責任〉を求める声はほとんどなく、救済の対象として見ているのに対し、いったん社会に出てから職を失い、困窮して生活保護を受給する女性には「自己責任だ」「甘えだ」「怠けている」「仕事を選んでいる」という声が投げつけられます。これは、当事者の年齢だけの問題なのでしょうか?
鈴木 僕、大和さんの本への反応は見ないようにしているんですよね。PCを壊したくなるぐらい腹が立つから(苦笑)。一方で、「貧困に陥ると、こんな状態になる」という説得力は、複数の対象者に取材したルポルタージュにしか出せないものだということもわかりました。当事者が書いた本というのは、そのリアリティこそが伝えてくれることも多く胸を打ちますが、反面、「これは、この女性にだけ起こる現象かもしれない」と解釈する人もいます。それで甘えや怠惰とみなしてしまう。……でも、意外だったなぁ。僕は『最貧困~』こそ批判が噴出すると思っていました。
大和 どういうところが批判の対象になると思われたんですか?
鈴木 男目線で女性の貧困、セックスワークにいる女性たちを書くことに対して、ですね。
大和 私は鈴木さんが取材された内容を、男性からの目線、女性からの目線、そして当事者目線の3パターンで読みたいですね。そうするとおのずと、全体像が見えてくるのではないでしょうか。ただ、日本では物事をジェンダーの見地から語る文化が定着していないように感じるので、それもむずかしいかもしれません。
『失職~』についても私は、もっとジェンダー的なコメントがくるのを期待していました。たとえば、「この失職している人は女性である。なぜか?」「女性正規雇用と非正規雇用の割合はどうなっているのか?」「女性の所得はなぜ男性よりずっと低いのか?」「それが失職率や貧困率に結びつくのでは?」といったことですが、残念ながらほとんど見かけませんでした。これが失職〈男子〉だったら、ここまで自己責任と糾弾するのか、しないのか……。とても興味深いですね。
こうした議論とはまったく外れたところで、「女だから生活保護を受給できるんでしょ、男だったら受給できないよね」という発言も散見されて驚きました。
鈴木 女性という〈性〉を使って貧困から脱出する、というのは昔からあるパターンです。取材するなかで〈女3人産めば家が建つ〉という人がいました。女性がセックスワークをしながら3人子ども(娘)を産めば、行政からいろんな手当がもらえる。それを使って子どもを育て、できるだけ早い段階……本来なら就いちゃいけない年齢で子どもをセックスワークに送りこむ。母親+娘3人でそうやって稼いだら、それなりに大きな家を建てられるという考えですね。あってはならないことだけど、実際にはこうしたことが長いあいだ確実に行われてきた。貧困を生き抜くための知恵とも言えます。制度の悪用と指摘する向きもありますが、産まれてきた子を貧困から救済する手だてがとてもかぎられているという事実を踏まえて考えたいですね。
大和 いまは女性の貧困が盛んに取りざたされていますが、若年層の男性の貧困も深刻です。その鬱屈のせいで、「女性のほうが貧困から抜け出しやすくて、ずるい」と思いたいのかもしれませんね。言うまでもないことですが、生活保護申請において女性が優遇されるということはまったくなく、過去をふり返ると男性のほうが受給額が高かった時代もありました。どちらかというと男性のほうが優遇されていたんです。
でもそれ以前に「女性だから貧困に陥りやすい」という側面があるのも忘れないでほしいです。いまの社会の仕組みは、女性は一定年齢以上になったら結婚して家庭に入る、というすでに崩壊しているシステムを前提としていて、女性が30代や40代、それ以上になっても働かなければいけないし、結婚しても仕事を続ける人が多いということはまるで想定されていません。だから賃金は低いままで労働環境も整っていない。それどころか、働く場を得られないことも多いです。男性もそうなのでしょうが、女性がより厳しい状況にいることはまちがいありません。
――後半に続く。鈴木大介さん、大和彩さんが引き続き「生活保護は接続しにくく、また抜け出しにくい」という現状について掘り下げます。