『最貧困女子』(幻冬舎)でセックスワークに就いて路上でサバイブする少女たちの実態に迫った鈴木大介さん、『失職女子。~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで』(WAVE出版)で当事者として生活保護のリアルを発信する大和彩さん。両氏の目から見た貧困の現場、そして生活保護という制度が抱える矛盾とは?
(取材・文 三浦ゆえ)
大和 私が生活保護を受給しはじめて1年半近くが経とうとしています。仕事に就いて自立したいという意志はもちろんありますが、それにはまず心身の健康を取り戻さなければいけないので、いまは療養を第一とした生活をしています。実際に受給生活をしていて感じるのは、「抜け出しにくい」ということです。就職活動をしようにも、書類をそろえるのにも面接を受けにいくのにも先立つものが必要。生活保護は捕捉されにくいけど、それによって生活を立て直すのもむずかしい……というのが実感です。
鈴木 その実態を知らずに、生活保護を受けている人は貧困状態から抜け出そうせず、いつまでも貧困のままでいるという誤解はありますね。いつまでも貧困に居着き、労働力として社会に貢献できない人たちと見なす風潮を感じます。それが生活保護バッシングにもつながるのでしょう。でも、それは単なる思い込みです。まったく根拠がない。生活保護を受けている若い人たちが、そこから社会復帰したらどれだけの能力を発揮してくれるだろう、という前向きな発想がもっとあっていい。実際、僕が取材してきた少年少女たちにはさまざまなポテンシャルを秘めた子がたくさんいましたよ。この子たちをいつまでも貧困状態にとどめておいて、その能力を腐らせておくのは、なんてもったいないんだろうと感じます。
大和 日本は生涯学習の機会がすごく少ないというのも、そのもったいない状況を作り出している一因だと思います。鈴木さんの『援デリの少女たち』(宝島社)にも、すごく頭がいいのに貧困が理由で進学できなかった子が出てきますが、これがアメリカだったらほぼ学費なしで簡単にコミュニティカレッジに通えます。就労支援を受ける前に、必要な知識などを身につけるチャンスがあるということです。
鈴木 先ほどの大和さんの発言で、「貧困でも生活保護に捕捉されにくい」とありましたが、『失職~』でもろもろの申請作業について当事者目線で描写されていたのを、新鮮な思いで読みました。大和さんが行政の窓口で受けた対応は親身なもので、これまで報じられてきたもの、すなわち、申請にきた人を追い返すなどの〈水際作戦〉とはずいぶん違いました。僕自身、当事者からの取材をもとにたくさんそんな場面を書いてきたわけですが……。
大和 私が対応していただいたのは、プロとしての仕事を全うされる、すばらしい方々ばかりでした。これに関しては運がよかったと思っていますが、そう言ってしまうと、生活保護の受給とは運で左右されるものではないですから、おかしな話ですよね。
鈴木 それに加えて、大和さんだから、というのも大きいですよね。どれだけ苦しい思いをしても、なんとか書類を整え、手続きのため何度も窓口に足を運ぶ。これって当然のことのようですが実際にはたいへんな労力を要するので、この生真面目さは行政側にとってもありがたいものだったはず。力になりたい、と自然に思ってもらえた。でも一方で、そんな苦しい思いをしなければ生活保護を受給できないのかとため息が出ました。とてつもなくハードルが高いですよね。
大和さんのように真面目な人ですら、こんなにも苦しい思いをしなければたどり着けないの? だったら、僕が取材してきた女性たちはクリアできそうにない。手続きごとすべてを苦手としているし、メンタリティ的にもおとなしい女性ばかりではありません。むずかしいことを説明されて「わからないの?」と言われ、「わかんないわよ!」とキレて帰ってきちゃう人もいます。そしてセックスワークのほうに絡めとられてしまうんです。