大和 申請のとき、私にとっても高いハードルがありました。
鈴木 扶養照会ですね?
大和 はい。「この人が貧困状態にあるので、あなたたちで面倒みれませんか?」と家族に問い合わせるものですが、虐待家庭に育った私は、親に居所を知られると身の危険があります。自分が生きるにはもう生活保護に頼るしかないとわかっていても、これがあるので申請をためらいました。行政の方に何度も相談した結果、扶養照会なしで申請は可能だということがわかったので、やっと落ち着いて手続きができました。
鈴木 これだけ貧困に注目が集まっていますが、世間は貧困について勘違いしているなと感じることがあります。そのひとつが、この扶養照会についての考え方。生活保護とは、健康保険と医療のように利用されるべきものだと思うんです。風邪を引いたときに健康保険を使って病院で治療を受け、健康を取り戻すように、貧困に陥ったら生活保護を使って、まずは混乱状態を抜け出し、それから生活を立て直して、社会復帰する。扶養照会とは、風邪をひいて病院にきた人に治療をせず、家族に電話して「この人、風邪なんですけど、そちらで看病してもらえませんか?」と問い合わせるようなもの。適切な対応ではないんです。電話がかかってきたほうも困りますよね。
大和 家族が助け合えば貧困から抜け出せるというのは幻想にすぎないし、そもそも家族がいない人、家族に頼れない人もたくさんいます。
鈴木 「頼る人が誰もいないなら、福祉を使っていい」と条件付きになっていること自体がおかしいですよね。困窮したなら、福祉に直行していい。誰でも一律で使えるものであってこそセーフティネットです。ただ、福祉とはそもそも受け身であることも確かです。よほどのことがないかぎり市民生活に介入してこないので、申請されなければはじまらない。精神科医やカウンセラー、ハローワークの窓口でも「この人は放っておくと貧困で死ぬかもしれない」というサインをキャッチしたとき、自然に福祉事務所につなげるような流れができればいいのですが。
大和 つい最近、昔のブログを読み返していて驚いたことがあります。転職活動で不採用が続いていたころ、それもかなり早い段階で、精神科の主治医から「日本には生活保護という制度があるんだから、いざとなれば利用すればいいんですよ」と言われたことが書いてありました。
鈴木 その段階で、福祉に接続するきっかけが一度あったんですね。
大和 けれど、私はこうして読み返すまで、そんなことが話題にのぼった記憶すらありませんでした。解離の症状があるので、大事なことも覚えられないときがありますし、当時は「自分とは関係ない」と思っていたので、聞き流していたのかもしれません。何が言いたいかというと、行政・医者・ソーシャルワーカーなど、当事者以外の人が貧困をキャッチし、助言までしてくれても、その人が「生活保護を含む福祉制度」の知識を持たないかぎり、なかなか「自分がそれを利用する」という発想には至らないのではないか、ということです。生きるだけで精いっぱいのときは、特に……。困っている人の中に「福祉制度を利用してもいいんだ」という思いがまずあって、初めて、外的要因(行政・医者・ソーシャルワーカーからの働きかけ)が意味をなしてくるように見えます。
(了)