データセンタのサーバルームに閉じ込められた神谷翔と管理人の長谷部。一方、次々システム異常が発覚し、データセンタにも連絡がつかないアルティメイトクラウド社は、パニックに陥っていた。神谷翔と夏木理沙の上司である的場は、かつての同期の丸谷に電話をかけた。丸谷はアルティメイトクラウドの監視チームを仕切っていた。
霞が関のアルティメイトクラウド専用監視ルームは、さながらSF映画に出てくる〈地球防衛軍〉のようだ。
大型の壁面ディスプレイには、システムの稼働状況を示す監視ツールの情報が並び、左右のモニタにはログの画面や、監視カメラからの映像が表示されている。
そのディスプレイを囲むようにして、PCの載ったデスクが、何重もの弧を描くように並んでいる。
中央後方の席に座っていた丸谷は、ハンカチを取り出して、額の汗を拭いた。
暑いからではない。二十四時間三百六十五日、監視チームが待機している部屋の中は、きちんと冷暖房が行き届いている。
これはきっと、冷や汗とか脂汗とか呼ばれる類のものだ。
「第二セグメントのサーバからも応答がなくなりました」
悲鳴に近い声が上がった。
メガネをかけ直し、丸谷は壁面のディスプレイを見つめた。
いったい、何が起きているのか。
電源装置の故障だろうか。
データセンタの担当者は、サーバルームに入ったきり、いまだに折り返しの連絡がない。
こちらからモニタできるのは、クラウドエリアの映像だけだ。一瞬クラウドエリアに現れた彼は、すぐに誰かに声をかけられて出ていってしまった。
今では、カメラの視界にも映っておらず、内部の状況が読み取れない。
「バックアップの状況は?」
「関西は復旧してません。アルティメイトVM(ブイエム)がインストールされている北米と中国のデータセンタに昨日のバックアップを移動中ですが、回線の速度を考えるとまだ数時間はかかるかと……」
関西サイト障害の知らせが来たのが、昨日のことだ。
アルティメイトクラウドのデータセンタは、災害などを考慮して、関東と関西の二ヶ所に設置されている。データセンタは相互にバックアップを取っており、一方が落ちれば、即座にもう一方のサイトが相手の分までシステム運用を肩代わりする。
今回の一連の障害は、例の脅迫めいたメールと関係があるのだろうか。
丸谷は、先日の問い合わせのメールを、自分のPCのディスプレイに表示してみた。
〈貴社の保管されている国民のデータは、最低でも六百億円以上の価値があると考えます。〉
引っかかっているのは、国民のデータという言い方だった。
医療分野へのマイナンバー利用の拡大に備え、アルティメイトクラウドに、マイナンバーの情報提供ネットワークへ接続する医療用クラウドが設置されたのは、四ヶ月前のことである。
犯人は、マイナンバー絡みのシステムが、アルティメイトクラウドに載せられたことを知っていることになる。
だが、より内部の事情に通じた者なら、全国民の情報が蓄えられているなどと書いたりしない。
一般の国民がマイナンバーと聞いてイメージするのは、自分の情報を確認できるインターネット上のポータル画面だろう。いつ誰が個人情報にアクセスしたのかという履歴も確認できるようになっている。
が、ポータルには一時的な情報しか保管しない。この情報を提供するマイナンバーのコアシステム、「情報提供ネットワーク」にさえ、なんとマイナンバー番号は流れない。
マイナンバーの発行は、住基(じゅうき)ネットと連動して行われる。情報提供ネットワークは内閣官房直轄だが、住基ネットは地方公共団体情報システム機構の管轄だ。
年金・税務など個別システムの情報は、従来通りバラバラのシステムに保管され、照会が行われると、まず別のルート経由でマイナンバーが照合される。その後に、中間サーバを経由して情報提供ネットワークに個人情報が送られるようになっている。
各省庁とIT業界の利権が複雑に絡み合って生まれた複雑怪奇な方式である。
医療用クラウドも同様で、照会のあった情報が一時的に蓄えられるだけだ。
犯人は、入札情報を見て、アルティメイト社がマイナンバー絡みの医療用クラウドを受注したことを知ったのだろう。
そう軽く考えていたのだが、つい数時間前、新たにメールが送られてきた。そこには明らかに、一般人には分からないはずの情報が記されていた……。
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