胸ポケットに入れていた、私物の携帯電話が鳴った。
取り出してみると、思いがけぬ名前が着信画面に表示されていた。
しまおうとしたが、こんな時間にかけてくるのだから、急用だろうと思い直す。
「もしもし、丸谷君?」
「的場君か。こんな時間にどうしたんだ」
「今晩、うちのシステムがリリース予定だったんだが、アルティメイトクラウドの情報提供ネットワークにつながらない。障害が起きているのか」
「何が起きているのか、まだはっきりしていないんだ。さっきから、大量にアラートがあがっている」
「前に話していた、脅し文句と何か関係があるのか」
「分からない。でも、今日も妙なメールが来たんだ」
丸谷は、監視チームのメールアドレスに送られてきた、犯行声明らしきメールをディスプレイに表示してみた。
アルティメイト株式会社 責任者様
真岡市のデータセンタを占拠しました。
速やかに、添付の送金先へ指定金額を振り込んでください。
要望を聞いていただくまで、一台ずつサーバを使用不能にします。
なお、警察に通報した場合は、全てのサーバを破壊します。
初めて監視のアラートがあがったのは、このメールが送られてきて数分後のことだ。
それから二時間とたたぬ間に、二十台の仮想サーバが利用できなくなった。
「どんなメールが来たんだ」
焦(じ)れたように的場が急かす。
他言無用だと念を押して的場にメールを転送すると、予想通り、驚いた反応が返ってきた。
「占拠だって? 明らかな脅迫じゃないか。しかも、犯人は、データセンタの場所を知ってるんだな」
「そうらしい」
「占拠した、破壊すると書いているが、サイバー攻撃でなく実際にデータセンタを占拠したのか」
「いや……そんなはずはないと思う。監視カメラにも、犯人らしき人物は映っていない」
言いながら、ディスプレイに現れた若者を思い出す。
データセンタの要員に声をかけ、連れ立ってクラウドエリアから出ていった。
どう見ても人畜無害な青年に思えたが、あれがデータセンタを占拠している犯人だということがあり得るだろうか。
「現地要員は?」
「連絡が取れないんだ」
的場の質問が糾弾に聞こえ、丸谷は苛立って言い返した。
「こっちも詳しい状況が分からないんだ。ちょっと待ってくれ」
「しかし、実際にサーバが使用不能になりつつあるのは事実だろう。うちの顧客からもクレームが来ているんだ」
次第に深刻になっていく的場の声に、焦燥感がいっそうつのる。
「上層部はなんて言ってる?」
「社長には連絡がつかない」
言いながら、丸谷はぞっと身を震わせる。
この事態が社長に知れたら、いったいなんと言われるだろう。
まして警察やマスコミに知れてしまったら……。
「警察に連絡は?」
「こんな時間じゃ、サイバー犯罪窓口だってしまっているだろう」
「どうするんだ。システムがダウンしていくのを、指をくわえて見ているだけなのか」
「何もしていないわけじゃない。今、バックアップセンターを用意してるところだ。あと何時間かすれば……」
画面の右下に、メール着信のポップアップメニューが浮かびあがった。
犯人からだ。
「待ってくれ、今犯人からメールが来た」
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