がんにかかる。いのちを奪われる病気にかかる。
ここであらためて一科学者として、一医師として断言します。その理由など、現代の医学、科学ではまずわからないのです。
遺伝子異常? では、その遺伝子異常が起きた原因は? 「加齢、老化」。この程度です。
逆に言えば、はっきりと原因がわかる病気など、この世にほとんどないのです。
あまりに不条理で、不公平で、残念で納得がいかないけれど、事実なのです。
でも、私は別のタイプの患者さんにもお会いします。
そういう患者さんはなぜか必ず、なんとなく江戸っ子っぽいのです。
私ががんの告知をしたときに、ある患者さんに言われた言葉です。
「何、がんにかかっちまったって?
……。
そいつあ仕方ねえ、いやびっくりだけど、かかっちまったもんはしょうがねえじゃねえか。馬鹿野郎、哀しんでどうするんだよ。
こうなったらとことん、やってやろうじゃねえか」
「諦め」ではありません。「やけっぱち」でもありません。
この方の「かかっちまったもんはしょうがねえじゃねえか」という言葉に、とてつもない強さと、優しさを感じるのです。
病気への、運命への覚悟を感じるのです。
自分がいずれ死ぬ病気にかかってしまった無念さはぬぐえませんが、同時にその運命を受け入れて、むしろ歓迎してやろうというくらいの気持ちを持てたら、なんと幸せなことでしょうか。
「そんなしけた面(つら)してんじゃねえよ、先生」
と言って、彼は暗い顔をした私の背中をばんばん叩くのです。
ほかにも、「がんになったからわかったことがあった」とか、「私はがんになってよかった」とはっきり言い切った患者さんもいました。
「幸せのハードル」を自分で動かす、というのはこういうことだと思うのです。
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二枚目の処方箋「代わりがいるから、自由になれる」、三枚目の処方箋「いつ死んでも後悔するように生きる」は、ぜひ本でお読みいただけると幸いです。
いつの日か、絶望のうちにそのときを迎える方がひとりもいなくなりますように。
―ー本書「おわりに」の最後のことば