母と娘の“呪縛”と“依存”をサスペンスフルに描く、唯川恵さん待望の長篇小説『啼かない鳥は空に溺れる 』の刊行を記念した対談のお相手は、幻冬舎plusの連載「愛と子宮が混乱中」で母娘論を執筆中の社会学者である鈴木涼美さん。
唯川さんの長篇の主人公に自分を投影したという鈴木さん。その、“母娘関係”について訊ねる唯川さんの口からは、「お母さんが怒った持ちはよくわかる」との言葉も飛び出して……母の立場・娘の立場で、恋愛、結婚など、立場の違う二人がそれぞれの思いを語った。
取材・文 須永貴子
撮影 有高唯之
●母と娘の数だけ、抱えている思いや問題がある
鈴木 私、今年、主人公の片方の千遥と同じ32歳なんです。これまでの人生、わりと男の人からお金を巻き上げて生きてきたので、「私の話かな?」みたいな感じでいきなりパンチをくらっちゃって。
買い物でストレスを発散したり、くだらない男に引っかかったり、千遥に似ているところがたくさんあって、感情移入しながら読みました。ちょっと前だと『ブラック・スワン』とか、最近だとディズニーの『シンデレラ』とか、映画でも立て続けに母の呪縛ものが流行った気がするんですけど、そういうタイミングは関係ありますか?
唯川 母と娘の確執は永遠のテーマだから、いつかは書いてみたいとずっと思っていました。若い頃は娘の視点しかなかったけれど、この年齢になると母親の視点も獲得できて、ようやく書ける気がしたので、2年くらいかけて連載をしてきたものが、今回本になったという流れですね。
鈴木 母と娘、両方の視点から書きたかったんですね。
唯川 そう。母親に苦しめられている娘が注目されやすいけれど、娘に苦しめられている母もたくさんいると思うのね。母親という存在が背負わされる、娘に理解があって、自由にさせてあげて、いいお母さんでいなきゃいけないというプレッシャーも、本当にしんどいだろうなと思うし。
鈴木 確かに、娘から見たお母さんが怪物として描かれている作品はいっぱいありますけど、お母さん側から娘をモンスターとして描いた作品は少ないですよね。それは、作家の人が子供の頃に植え付けられたお母さんの異常なイメージが、作品に強烈に反映されるからかもしれない。お母さんは逆に、大人になってから娘と接するから、娘の異常さを意外とちゃんと受け止めたり流したりして、作品には現れてこない。でも、現実的にはお母さんのほうが怪獣と向き合ってるのかも。
唯川 そうね。娘は母親のことを嫌いになっても仕方ないけれど、母親が娘を嫌いになることは犯罪みたいなものとみなされるから、感情というレベルでは同等ではない。そんな母のやるせなさもわかるようになってきたので、この小説では母の愛が欲しくてたまらない子(千遥)と、母の愛が重くてたまらない子(亜沙子)の二人を書きながら、母側の気持ちも反映させたつもりです。書きながら、母と娘の数だけ、抱えている思いや問題はあるから、正しいあり方はないんだろうなという考えに至りました。
鈴木 二人で海外旅行をするような仲良し母娘が友達にいるけれど、二人の間になんの確執もないとは思えないんです。そこには“仲良し”の体をなした呪縛がある気がします。
唯川 友達同士や男女でも、100%仲良しだなんてありえないものね。