真面目な女子アナに変なことをさせるのが快感だった時代(田中)
田中 先日、『THE 博学』(テレビ朝日)に出演されていた小島さん、ノリノリだったじゃないですか。あ、ノリノリのときあるんだと思って見てたんです。
小島 ……えっ!? 私いつもノリノリですよ。
田中 ほかの人が解答しているときには制作者側に回って番組を盛り上げてて、なかなかやる人だなと、感心したんですよ。
小島 そういうことは好きなんです(笑)。むしろ若いときは、制作者側に入り過ぎていたきらいが。
田中 いいことなんですけどね。
小島 制作者側に入り過ぎた上に、制作者の意図や企みを読み間違えたのが、私のスタートです。学校を出たばかりでテレビに出てもいきなりステキな女子アナを演じることができるのは、それまで生きてきた過程で見られる自分であることに自覚的だった女の子たちです。私にはそうした素質がなかった。
田中 ふむふむ。
小島 さらに、制作者側に回った上で、制作者が何を求めているか、その正解をちゃんと当てられる人。こういう人たちが長ーく生き残る。
田中 そうです、そのとおり。
小島 私は制作者側に回り込み、思い切り読み間違えた。カワイイ系のアナウンサーと天然系のアナウンサーがいたら、もうひとりヒールが欲しいだろう。ん? 誰もそんなこと言わないなあ。でも欲しいに決まってる。「大丈夫、私、わかってますから」って。一人相撲です。
田中 うわあ。ディレクターは困るかもしれないけれど、面白い。僕なら面白がる。
小島 経験を積むことで、ディレクターも出演者が素直に楽しんでくれることを純粋に願っているんだとようやく気づけました。それでそのあとはなるべく素で楽しもうとして今に至ります。
田中 まあ、純粋なほうがいいですね。策を練られると困るな。
小島 ただ、制作者側から出演者がどう見えるだろうという、つまり、見られる自分と見る自分が同居しているということが、長く仕事をする上ではプラスだったと思います。
田中 早熟だったんですよ、きっと。
小島 制作者の方々は、出演者の思惑なんてずっと超えたところで出演者を見てくれているものなんですね。
田中 例えば収録がちょっと沈んだ瞬間、自分の身を切るような話をできる司会者がいるんですよ。パッと盛り上げて、また淡々と進行に戻る。
小島 それって、生活習慣みたいなものですよ。
田中 生活習慣?
小島 テレビに出る立場になったから急にできることではない。テレビカメラが介在しようがしまいが、人って「見て見られる」関係じゃないですか。見て見られる関係の中で、例えば、人はどうやって不安を治めるのかということを日常的に考えている人、それが生活習慣になっている人でないと、それができない。だから、女子アナの試験には、友達やお母さんとの会話を隠し撮りしたほうがいいと、私は本気で思ってるんですよ。いいアナウンサーになる素質は全部、そこに生活習慣として表れますから。
田中 僕がディレクターになったのは1990年ぐらいで、その頃の女子アナって、そこまでできていなかったですよ。僕なんかいちばん楽しかったのは、それまで真面目にニュースを読んできた女子アナにコスプレをさせて、変なことをさせること。もうワクワクしちゃって、何だろうな、言葉が悪いですけど、ちょっと犯してやったぞぐらいの快感があるわけですよ。
小島 下品です!
田中 そう、まさにお下品です(笑)。だから、普段は真面目でいていただいたほうがいい。それをこっちで色に染めたい。
小島 それが、日テレが言うところの「清廉性」ですね。