『料理の鉄人』など数々の名番組を生み出し、小説『歪んだ蝸牛』では嫉妬と欲望が渦まくテレビ業界を活写したテレビプロデューサー田中経一さん。野心とプライドを胸に秘めた女子アナたちを主人公に、初めての小説『わたしの神様』を上梓した小島慶子さん。
意外にも初対面だという二人の対話は、「今日、来るのを辞めようかと思った」という田中さんの衝撃告白から始まり、すぐに盛り上がって丁々発止のテレビ論に。そして、そこから見えてきたのは、業界の枠を超えた、「これからの男と女の働き方」「生き方」なのでした――。
女の欲望と男の本音が炸裂するお二人のトークを、全3回でお届けします。最終回は、試行錯誤を続けるテレビ業界から見えてくる、男も女もともに幸せになる働き方について考えます。
僕は日本人の価値観を変えたくてテレビ局に入った(田中)
田中 最近テレビ局に入社してくる人たちからは、制作より営業がいいですとか、携帯コンテンツがやりたいですとかいう声が聞こえてきます。
小島 ビジネスがやりたくて入ってきているんですね。
田中 つらいのは嫌だと。テレビ局の名刺があれば、それでいいと。僕のところではAD(アシスタントディレクター)の派遣もやっているんです。そこに応募する人たちの志望動機は、「タレントの顔が見たい」。
小島 なるほど、わかりやすい。
田中 僕なんかは3~4年、つらいADの仕事やりましたが、その間、「ディレクターになって思う存分自分の仕事やりなさい」と叱咤激励されるわけですよ。最近の若い人たちに、同じように激励すると「いや、ADのままでいいです。別にやりたい番組なんてないんで。あの場にいたいだけなんです」って言われてしまう。
小島 じゃ、人材不足ですね、ディレクターが。
田中 そうなんですよ。今、「こんな番組をやりたい」と思っている人が本当に少ないです。
小島 そうですか。いわゆる職人的にテレビディレクターをやりたいという田中さんの世代は、もう本当にテレビが好きで、もっと面白い番組を作ってやろうという野心に燃えて入ってくる人たちが多かったわけですよね。
田中 そうでしたね。
小島 いつぐらいから変わってきたんですか。
田中 ここ10~15年でしょうか。よく耳にするじゃないですか。今の番組は同じ芸人さんたちがひな壇に並んで、どれを見ても一緒だよねって。それと比例しているんじゃないですかね。そういう番組を見てきた若い人たちだから、特に刺激も受けずにここまで来てしまった。
小島 何ができるところでもないよなって最初から見限っちゃっているんですね。
田中 そういう諦めがあるんだと思います。
小島 先日、ある作家さんとお話ししていたら、文芸誌は本当にちょっとしか売れないのに、新人賞を募集すると売上部数の何倍もの応募があるというんです。つまり、読むことに興味はないけど、読まれたい人は多い。SNSでもお客さんの奪い合いで、自分が発信して、たくさんのフォロワーに賞賛してほしいという、「一億総出たがり」になっちゃっているんだというお話を聞いたんです。だとしたら、「俺がぜひ面白い番組を作りたい」とテレビ業界に来る人がいてもおかしくないのに、そこはもう、テレビは発信できる場だとは思われていないんですね。
田中 思っていないでしょうし、そのためにつらい徹夜仕事まではやりたくないということでしょう。テレビよりもネットの動画のほうが面白いもの作れるというのはあるかもしれないですね。僕も最近は、そっちのほうが面白いと思いますもん。
小島 田中さんでもそう思いますか。
田中 ええ。テレビよりはるかに面白いことができそう。
小島 それはどういう面白さでしょう。
田中 今はテレビのコンプライアンスの順守がうるさくなって、さらにリーマン・ショック以降は制作予算も緊縮してます。守りに入ると、だんだん同じような番組ばかりになっていく。そうなると、自由気ままにネットでやったほうが面白いものができるんじゃないかと思うようになるんですよ。
小島 テレビには限界があると感じるんですね。
田中 フリーランスだと、自分で企画を練って、企画書を局に提出して、通ったらそれをやるわけですから、自分の好きな企画を持っていける、つまり、ルーティンとは違う、もっと自由度の幅が広いはずなんですが、それでも、通る企画は大体同じようなものになる。
小島 厳しいですね。
田中 『料理の鉄人』などは何千万円もかけてセットを作ってやっていたわけですが、今では予算的に絶対許されません。
小島 それで、似たようなことの繰り返しになってしまうんですね。
田中 そうなっていますね。それが視聴者に伝わるという悪循環ができ上がっているのだと思います。
小島 テレビにしかできないことがあるという信念が、ずっとテレビマンの中にはあったように思うんですね。私の上の世代もそうですし、私の世代もまだそこは信じていたと思います。
田中 テレビにしかできないことが今は全部ネットでやられてますからね。
小島 田中さんが『歪んだ蝸牛』で書いた、事件の現場に踏み込むということだって、ネットでできちゃう。
田中 そうなんですよ。僕はテレビ局に入るときの志望動機に、「テレビで価値観を細分化したい」と書きましたからね。
小島 おおぅ!
田中 とんでもない野望ですよ。二十歳そこそこで日本の価値観変えるだなんて言って。今だったらさしずめ「アホ」と言われて終わりです。
小島 そう言って入社して、あれだけ大きいお仕事をたくさん手掛けられて、価値観を変えたという手応えがありますか。
田中 深夜番組で『カノッサの屈辱』(フジテレビ)という変な番組をやっていたんですけど。
小島 もちろん、拝見していました。
田中 ああいうゴールデンタイムではできないような番組をやって若い人たちの支持を得たり、『料理の鉄人』で料理人たちが世の中ですごい存在になったりといった手応えはありましたね。あの頃は、番組作りを僕たちに放り投げてくれていたんで、うるさいことも言われずに番組を作ることができた、いい時代でした。
小島 町にいた料理のおじさんがテレビに出て鉄人になるってすごいことですけど、それってつまり、夢の箱だったテレビが地続きになるということじゃないですか。雑誌が読モ(読者モデル)を作ったことで地続きになったのと同じように、テレビでも素人がリアリティショーからスターになって地続きになってしまうと、その夢の箱的な輝きはだんだん失われてしまう。
田中 いやあ、難しいです、これからのテレビは。