運動のための運動になったら応援できない
國分 麻木さんがおっしゃるとおりで、党派性がないほうがいいっていうのはもっともだけど、運動をやる以上、それが出てこないということはあり得ない。
麻木 問題は党派性にあるんじゃなくて、何のためにその運動をするかより、組織の論理が優先したり、党利が優先したりして運動の中身が歪められることだよね。誰でも自分のスタンスを明らかにすれば、そこに党派性が生まれる。それを「ない」という人たちは、どこかでウソをついてる。騙して動員を増やそうとしてるなって思っちゃう。「既存政党のイメージが先に出てしまうと誤解を受けるから、まず間口を広げる戦略を立てました」ということならば、まぁわからなくもないけど。
國分 小平の住民運動は既成政党との関係はなかったけれど、それでも、何かしらの党派性はあったかもしれない。でも重要なのは、とにかく運動の目的を見失わないということだと思うんです。小平の場合、その点が非常にしっかりしていた。しかも目的がきちんと目指されていることで、運動のやり方が少しずつ調整されていくという感じがあった。だから僕も全力で応援できたんですね。
(この対談は全4回です。次回〈社会全体が「政治に無関心な若者」を育ててきた〉は11月20日掲載予定です)