国家ちゃんと国民ちゃんがおててつないで……
麻木 市民の側で権力を警戒する感覚が失われていることとコインの裏表で、国会議員の側でも、自分が権力側だっていう自覚が失われているような気がする。例えばちょっと批判されただけですぐに名誉棄損で訴えたり、「私だって一国民、一庶民なのに」とか言う国会議員がいるじゃない? 議員バッジを付けるということは、まさに権力・統治機構の側に身を置くことなんだっていう自覚がない。あるいは、自覚がないフリをして、それで国民に通用すると踏んでるわけよ。
この間、ある政治家が「国家と国民は敵対しているとみんな思ってるでしょ。それは違うんですよ。国家と国民とは手を携えていくものなんだ。だから憲法に国民の義務を書いてもいいんです」って発言してた。いまやそんな論法がまかりとおっちゃうの。
だから私、「国家ちゃんと国民ちゃんのゆるキャラが仲良く手をつないで坂道をスキップして、『さあ、憲法を改正しよう! 国家と国民が仲良く手をとろう』っていうコマーシャルがいまに出るんじゃない」って言ってるんだけど、本当にそうなるよ。
國分 しかも、たぶん、それのどこがおかしいのか、みんな答えられない。
麻木 国家は私たちを守ってくれる存在ではあるけど、そうじゃなくなる可能性だってあるのにね。その政治家は、「国家と国民が対立していたなんていうのは、絶対王制時代の話」「古い概念なんだ」って言うの。でも統治機構を形成しているのが、王様であろうが、民主主義の選挙で選ばれた国会議員であろうが、官僚だろうが、そもそも統治機構って、力で国民を縛る性格を持っているものでしょ。国家のように大きい船を統治するためには、何らかのかたちで強制とか暴力装置が必要になるのは当然。
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