続いて第2章「日本のリーダー層は勉強が足りない」からの抜粋です。
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ライフネット生命を創業する前、私は日本生命(ニッセイ)に勤めていました。日本生命時代、ロンドンに三年間駐在し、その後東京でも三年間国際業務を担当しました。連続して合計六年間ほど、主として外国人相手の仕事をしたことになります。
そのときの経験で痛感したのは、ほとんどがドクター(博士)、マスター(修士)である外国のトップリーダーに比べると、日本のビジネスリーダーはなんと教養が不足しているのか、ということでした。日本の大学進学率は五〇%を超えており、先進国のなかでもそれほど低くはないのに、実際に外国のトップリーダーと向き合うと、まったくと言っていいくらい歯が立たないと素直に認めざるをえませんでした。
グローバルビジネスにおける人間関係は、ビジネスの中身で決まると思われているかもしれません。欧米は契約社会だから、なおのこと、互いにとって利益になる、いわゆるウィン・ウィンの関係を築けるかどうかがすべてで、それ以外の要素が入る余地はないとイメージしている人も多いでしょう。しかし実際に、グローバルビジネスの現場で重視されているのは、「人間力」です。
ウィン・ウィンの関係というだけなら、ビジネスパートナーの候補はいくらでもいます。たくさんいる候補のなかからビジネスパートナーを選ぶとき、大きくモノを言うのは、「この人と仕事をしたら面白そうだ」という属人的な要素です。欧米人には、同じ仕事をするのであれば、面白い人と仕事をしたいという気持ちがとりわけ強いように思います。
ビジネスの話ではありませんが、漫画家のヤマザキマリさんが十四歳年下のイタリア人とどうして結婚したかというと、「この人といると、面白そうだと思ったから」だそうです。これは至言だと思います。グローバルビジネスでも、「この人は面白そうだ」と興味を持ってもらえるかどうかが、じつは重要な鍵を握っているのです。
「面白そうな人だ」というときの「面白さ」の源が教養ということになるわけですが、具体的にはどういうことでしょうか。
まず「ボキャブラリー」が挙げられます。日本語に訳せば「語彙」ですが、ここでは、たんに知っている単語の数の問題ではなく、話題が豊富でさまざまなテーマで会話ができるという意味で、「ボキャブラリー」という言葉を使っています。「引き出しの数」と言い換えてもいいでしょう。
次に引き出しの多さ(ボキャブラリー)に加えて「広く、ある程度深い知識」があることが必要です。私がつき合っていて、この人はすごいと思ったグローバルリーダーは、ビジネスや経済だけではなく、文学、美術、音楽、建築、歴史などにも間違いなく深い素養を持っていました。これは欧米だけではなく、広く世界共通と言っていいでしょう。
日本では、素人が雑学的にいろいろなことを知っている場合、よく「広く、浅く」という言い方をします。専門家の場合は対照的に、「狭く、深く」です。グローバルリーダーの場合、どちらとも少し違っていて、「広く、ある程度深い」素養が求められます。しかも、個別に「狭く、深い」専門分野を持ったうえでの、「広く、ある程度深い」素養なのです。
たとえば、マネジャークラス以上であれば大半の人が大学院を出ていて、ドクターかマスターの学位を持っています。それどころか、異なる二分野で学位をとった、ダブルドクターやダブルマスターの人も珍しくありません。さらに自分の専門分野だけではなく、文学でも歴史でも自然科学でも、あらゆるジャンルに、一定レベル以上の深い造詣を持っているのです。数学のプロでもある経済学者のピケティが、文学にも並々ならぬ造詣を示したのはまだ記憶に新しいところです。
旧聞に属しますが、二〇〇三年、フセイン政権下のイラクへの武力攻撃をめぐって、フランスとアメリカの意見が対立した際、当時のフランスの外相ド・ビルパンがフランス側の言い分を雑誌などに載せていました。そのロジックの構築のしかたが素晴らしく、また言葉の使い方がとても巧みなのに驚いて、いったいこの人はどういう人なのだろうと調べてみたら、学生時代には、フランスの詩人、アルチュール・ランボーをテーマに博士論文を書いていました。また、ナポレオンの研究者であり、長大な伝記も書いていました。言葉の使い方が素晴らしいはずです。ド・ビルパンはのちにフランスの首相になりました。
そのようなリーダーがとくに珍しいわけでもなく、ゴロゴロいるのが、「世界」のトップ層です。私がロンドンで働いていたときのナショナル・ギャラリーのトップは著名な投資銀行を経営していたベアリング家の当主でした。彼らと一緒に晩ご飯を食べようというとき、ゴルフと天気の話しかできない人とランボーを語れる人とではどうなるでしょうか。人間は、双方の関心領域がある程度重なっていないと、なかなか相手に共感を抱けないものです。相手がゴルフと天気の話しかできなくては共感のしようがなく、何回食事をともにしても信頼関係は醸成されません。
日本国内だったら、いまでも「営業は根性だ」といった精神論が通用するかもしれませんが、世界では通じません。「根性=ガッツ」という概念は理解してくれるでしょうが、「ガッツが必要? そりゃそうだね」で終わりです。
ところが、仕事以外のことについて少しでも何かを知っていると話が断然違ってきます。私が連合王国で仕事をしていたとき、「シェイクスピアは全部読みました」と言ったら、それだけで「おまえはいい奴だな」と急に相手との距離が縮まったことがありました。シェイクスピアは、私が個人的な興味で読んでいただけですが、結果的に日本の経済や金融の話題以上に、ビジネスの役に立つことになりました。その相手から仕事がもらえたのです。
私たち日本人も、外国人が「お茶とお花を習っています」とか「源氏物語は素晴らしいですね」と言ってくれたら、それだけで打ち解けた気持ちになります。人間関係とは、所詮そういうものなのです。
西洋にはギリシア・ローマの時代以来、「リベラルアーツ」という概念があります。一人前の人間がそなえておくべき教養のことで、「算術」「幾何」「天文学」「音楽」「文法学」「修辞学」「論理学」の七つの分野から成ります。人間を奴隷ではなく、自由人にする七つの学問というのがもともとの意味合いで、日本語では「自由七科」とも言われます。
リベラルアーツは今日なお、彼らの間に受け継がれています。彼らが「広く、ある程度深い知識」を身につけているのは、リベラルアーツの伝統に則(のっと)っているのです。
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次ページでは第1章と第2章の目次をご紹介します。
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