ヤジウマ的青田買いの楽しみと
勝敗を超えて広がる世界
フジタ 登場人物が次々に出てきて、どんどんその背景や人となりが分ってきて、コンクールは一次→二次→三次→本選って進んでいく。となると、読者は自然に誰かしらに肩入れして応援したくなる。アイドルのオーディションとか、野球でいうと甲子園とか、宝塚や歌舞伎なんかもそうだろうけど、青田買い的な楽しみってあるでしょう。あの感じも体感できるよね。
スギエ それでいて、物語が天才VS凡人とか、勝者対敗者みたいな単純な話になってないのも面白い。たとえばジンたち三人に比べて自分が才能に劣ることを分っちゃってる明石も、ある種の天才なわけじゃない。
フジタ そうだね。天才中の天才じゃないかもしれないけど、十分に才能溢れる人ですよ。
スギエ この四人のピアニストたちには、それぞれにピアノを巡る考え方みたいなものが体現されていて、明石の場合は、ピアノはごく一部の天才だけのものじゃない、生活する人間として芸術を解放したい、って思いが描かれてる。で、上手いなと思ったのは、明石がたどり着く境地っていうのは、実は最後まで読んでみると、天才中の天才であるジンがやろうとしていることと、実はあまり変わらないんだよね。アプローチが違うから、見えるところが違うってだけで。
フジタ あぁ、なるほどね。そうか。そういう彼らの進む道を追従していくことで見える世界に魅せられるから、読み進んでいくうちに、結局誰が優勝するの? って勝敗の部分は、わりとどうでも良くなるのかも。
いやぁでも、考えてみたらもの凄く難しいことを描いてるよね。だって、そもそもが予選に出てきた時点で「上手い」の上限ぐらいにいる人たちを、二週間のなかで数値化できない基準で優劣をつけて、成長させたり覚醒させたりしなくちゃいけないんだよ(笑)。
スギエ そういう意味では、亜夜のピアノに対する思いの「再認識」を成長に繋げていく描き方とか、それこそ上手い。ちゃんと変化が見えるんですよ。あと、三人の天才を、三角関係的に絡める描き方も。三角関係ってやっぱり小説の基本で、ABCの関係を作ると話って発展するんだけど、マサルと亜夜の関係を軸にして、そこにどうやってほかの人間を置くかっていうところで話を動かしていくように、あちこちにシンプルでいて、平面的にならない工夫がされてるんです。
そもそもこれ、本来は読者に共感させにくい小説のはずなんです。天才たちの行動を、ぽかんと横で眺めているだけの話だから。彼らを見つめながら「すげえな!」と思ってるのを、共感だと勘違いしているだけなんですね。天才たちの感性を、一般人である読者が共有できたかのような錯覚を恩田さんが起こさせている。超絶技巧ですよ。
あの名作ピアノ漫画へのオマージュ!?
漫画好きにはたまらない萌えポイント
フジタ マサルの母親が日系三世で、彼は幼い頃一時期日本に住んでいたことがあって、亜夜とは幼馴染みだったことがコンクールの途中で判るんだよね。で、子どものころふたりで連弾したのが「茶色の小瓶」。しかもマサルは亜夜を「アーちゃん」って呼んでる。これね、もう世の中の少女漫画好きにはたまらん萌えポイントですよ(笑)。きっと亜夜もシチューが得意に違いない!
スギエ ええっと、ちょっとよく分らない(笑)。
フジタ くらもちふさこの『いつもポケットにショパン』っていう名作漫画があってだな、それはもうピアノ漫画の金字塔みたいな作品なんだけど、その主人公が「アーちゃん」って呼ばれてて、幼馴染みで後のライバルとなる男の子と小さい頃「茶色の小瓶」を弾いてるんですよ。だからこのエピソードはきっと恩田さんの「いつポケ」オマージュなんじゃないかと。
スギエ おぉ。恩田さん漫画好きだし、その可能性は高そうだね。
フジタ たぶん、ほかにもそういう萌えポイントはいろいろ埋め込まれてる気がする。クラシックに疎いから選曲とかの深読みできないのが残念だなー。スギエさんはクラシックどう?
スギエ 全然分りません。ここに出てくる曲で、タイトル見て頭に思い浮かべられるのはひとつもない。でもさ、その演奏場面が山ほどあるのに、まったく知らなくても問題なく楽しめるって凄いことですよ。同じ曲でも弾く人によって「凄さ」がちゃんと違って、その違いを退屈に感じさせずに表現するって、実際に書いてるときはかなり大変だったんじゃないかと。
フジタ うん。私はね、最終的に「あぁ、いい小説読んだなー!」って、なんかニコニコしちゃう感じが良かったな。読み終えて何日か経っても、ふとした瞬間に、思い出すことがあったり。そういう記憶に残る小説だと思います。
スギエ いや、これはもう、記憶だけじゃなくて、記録にも残るでしょう。次の直木賞の候補(*)になりますよ。
フジタ おぉ、言い切るねぇ!
スギエ うん、ならなかったらおかしいレベルです。僕には何の権限もないけど(笑)。
フジタ でも、それだけの力がある小説だと私も思う。賞云々なんて私たちの勝手な期待でしかないけど、それを機に、もっともっと沢山の人が、この幸福感を味わってくれるといいな、とは心から思います。ううん、楽しみだなー!
*編集部注=そしてこの対談の後、見事、第一五六回直木賞候補になりました!
(「小説幻冬」2017年1月号)
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◆杉江松恋 1968年東京都生まれ。書評ライター。著書に『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない!海外ミステリーマストリード100』他。近著は『桃月庵白酒と落語十三夜』(共著)。
◆藤田香織 1968年三重県生まれ。書評家。著書に「だらしな日記」シリーズ、『ホンのお楽しみ』など。約6年分の「スギエ×フジタのマルマル読書」(1〜3巻、各¥200)は電子書籍で発売中。