哲学者の岸見一郎さんと、博報堂のマーケティングアナリスト・原田曜平さん。岸見さんが『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)で展開したアドラー心理学と、原田曜平さんが『ヤンキー経済』(幻冬舎新書)で語るマイルドヤンキーは、一見あいいれないものですが、どちらもいまの若者を論じるうえでの重要なキーワードです。今回は、若者気質の国際比較や、昨今よく議論される承認欲求について、ふたりのフィールドからそれぞれ感じるところを話していただきました。
(構成:稲田豊史)
経済が成熟すると「嫌われる勇気」がなくなる?
原田曜平(以下、原田) 『ヤンキー経済』では、給料が今より5万円アップしたらじゅうぶん幸せ、という若者の声を紹介しましたが、かつて群馬のハローワークで、給料は3万円でいいという若者に出会いました。3万円アップじゃないですよ。3万円もらえればハッピー、です(笑)。
岸見一郎(以下、岸見) それはすごい。『ヤンキー経済』を読むと、原田さんは若い人たちに上昇志向がないことを、肯定的にとらえられているようですね。彼らとしては、「ささやかな幸福で満足しておけば、それほど人とぶつかることはない、だから嫌われなくて済む」という論理構造なんでしょうか?
原田 うーん、肌感覚として感じているのは、国の経済成長が一段落して成熟段階に入ると、その国の若者の間から上昇志向が減り、「嫌われたくない」という気持ちが増える、ということです。経済が成熟し、給料が上昇する気配のない社会では、それを期待するより、周りとの調和を考えるようになるんだと思います。自分だけ突出して成り上がると悪目立ちしてしまいますし。
岸見 日本以外の国はどうなんですか?
原田 北京オリンピック前の中国は経済がイケイケでしたから、現地調査に行くと、若者気質も日本とぜんぜん違いましたね。端的に言うと、会う人会う人、発言がビッグマウス気味なんですよ(笑)。「社長になりたい」だの「僕、企業で働く気なんてありません」だの「日本人はダメですね」だの。良く言えばエネルギッシュで、周りの目なんか一切気にしていない。まあ、KY(※)というか。
※「空気読めない」の略。その場の雰囲気やニュアンスをつかめず上滑りしてしまう人のことを指す俗語。
岸見 想像できます。
原田 でも、経済成長が一段落した今の中国、少なくとも北京や上海の大都市部は、日本とほぼ同じですよ。こないだ、上海で取材したフリーターの女の子なんかは、「職場の皆が仲良しで雰囲気もいいから、給料は上がらないけど、このままずっとここで働きたい」と断言していました。そういう子が増えているんです。今のソウルや台北などの東アジアの先進エリアも、同じような感じですね。みなが空気を読むようになった。一方、バブルの頂点付近にいるバンコクはまだまだエネルギッシュな若者が多くて、威勢よく「起業します!」と叫んでいました。
岸見 なるほど。しかし「空気を読む」というのは、別の言い方をすれば、「責任を取らなくてもよい」ということです。アドラーは、子供たちが幼い頃から甘やかされることに警鐘を鳴らしているし、前回の話題に出た「親との関係がいい」ということも、見方を変えれば、「責任を取らなくてもいい生き方の選択」につながっていきます。自己責任を嫌い、親の意向通りに進学・就職・結婚までしてしまうわけですから。
原田 空気を読む若者たちは責任を取りたくない、というのは間違いありませんね。たとえば、リーダーを買って出るような行動も、回避される傾向にあります。驚いたのが、最近の若者の合コンには、はっきりした幹事役がいないそうなんですよ。かわいい女の子やノリが良くて気の利く男の子たちをそろえられなかったら、自分が責められるから。そういった事態は避けたい。ヤンキーの話でいうと、昔のヤンキーには番長というリーダーがいましたが、今のマイルドヤンキーにそういうポジションは少なくなっているようです。
岸見 皆が対等だというのはアドラーの目指すところではありますが、誰もリーダーになろうとしなければ、誰も責任を取らないという意味で「無責任」ということになりますね。
原田 『ヤンキー経済』のなかでは、僕の同級生で、残存ヤンキーをまとめるリーダー役をしているヤンキーを紹介しましたが、彼はもう37歳ですよ(笑)。なぜそんな年でやっているのかというと、若い人にそういう人がいないから。若いヤンキーたちは無責任を決め込んで、リーダーを買って出てくれている彼に乗っかっているわけです。
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