5月24日の公開を控える映画『青天の霹靂』の原作・脚本・監督を手がけた劇団ひとりに、映画づくりの現場について聞くインタビュー。2回目の今回は、台詞の設計や役者への演出指示について。監督という立場で見出した新たな発見とは?
(聞き手・構成:稲田豊史 写真:菊岡俊子)
第1回の記事:劇団ひとり、物語を切り貼りする
最終回(第3回)の記事:劇団ひとり、映画づくりに没頭する
――映画を観て感じたのが、登場人物の会話がすごく生き生きしていることでした。嘘っぽくないというか、自然というか。
ひとり 紙の上で台詞をいくら書いても、本当にいいかどうかはわかんないんですよ。これはお笑いのネタづくりと基本的には変わらないんですが、僕は台本を書いたら、まずその場で声に出してみるんです。それで、なんか違うなとか、ああ意外といけるなとかいうプロセスを経て、ダメな要素を消去していくんですよ。
――今回も、そのプロセスを踏んだんですか。
ひとり 事務所の後輩の役者さんを呼んで、台本を声に出して全部読んでもらいました。芝居としておかしくないか、リズムの悪いところがないか、不自然じゃないかを徹底的にチェックしたんです。もちろん自分でも声を出してすべての役を演じてみたので、登場人物全員の台詞、全部言えますよ。柴咲コウさんの役(主人公・晴夫の母、悦子)もなりきってやってたから、傍から見たら相当気持ち悪かったでしょうね、僕。
――よく日本映画で、普通こういう状況でそんな紙に書いた文章みたいなこと言わないよっていう、いわゆる「寒い話し言葉」に遭遇するんですけど、今回はそれが皆無でした。
ひとり いい台詞を言わせたいのはやまやまなんですけど、やりすぎると台詞があまりにも劇的になっちゃうんですよ。舞台なら成立する台詞回しでも、映画だとどうしても浮いてしまう。これはすごく気を付けました。脚本段階ではそういう台詞もあったんですが、現場でどんどん直していきましたね。
――よくない映画って説明台詞に頼りがちですよね。
ひとり この映画にも、物語を進めていくうえで必要な説明台詞はあるんですけど、説明台詞っぽく聞こえないようにするにはどうしようかなと色々考えた結果、しゃべってる人間を歩かせればいいんだと気づきました。案の定、説明っぽさがうまく消えてくれましたね。
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