「旧家のしきたり」に適応できないのは当たり前
矢部 本の執筆にあたりとても参考になったのが、先生も出席された「文藝春秋」2008年4月号の座談会です。世代の異なる6人の識者が出席される中、先生が宮中祭祀へのクールな見方を提示されていて非常に腑に落ちました。私は先生と同じ1961年生まれですので。
斎藤 あの対談の中で「旧家に嫁ぎ、意味のわからない行事に参加させられた」女性の話をしました。
矢部 それが屈辱的でトラウマ的な体験になり、離婚された、と。
斎藤 実は、妻の話なのです。彼女の前の結婚相手が地方の大きな旧家の人で。対談でその話をしたこと、妻から感謝されました。同じ思いをしている女性がいるはずだ、と。
矢部 ましてや天皇家の古さといったら、日本一ですから。
斎藤 一般の旧家とは比べものにならないくらいの行事、つまり宮中祭祀がつるべ打ちでやってくるわけです。ハーバードや東大で徹底して合理主義者として育てられた人が、納得できるとは思えない。もっと言うなら、宮中祭祀のほとんどは明治期以降ですよね。
矢部 1908年(明治41年)に制定された皇室祭祀令で詳細が定められ、戦後も基本はそれを受け継いでいますから。明治天皇の神格化と重なっているように思います。
斎藤 これが2000年の歴史であれば雅子妃も納得できたかもしれないですが。
矢部 潔斎(けっさい)など大変な負担を強いられますしね。
斎藤 そういうものに従う義務があるのかという疑問は当然感じるでしょうし、やらないとバッシングされることにもすごいストレスを感じるだろうと思います。「適応障害」でも、適応先があまりにもストレスフルだから、これはやはり環境のせいと言った方がいいと思いますねえ。
矢部 その環境に美智子さまは大変適応され、それを私は「奇跡」と思うわけですが。先生は文藝春秋の対談で、皇后は「ヒステリー体質」だと語っていらっしゃいましたが、それと適応は関係あるのでしょうか?
斎藤 誤解のないように説明しますが、ヒステリー体質といっても、キーッとなるような一般的なイメージのそれではありません。感応性の高い体質、時に憑依(ひょうい)されるような体質で、巫女などの職業に向いています。バッシングで失声症になり、硫黄島で祈って回復するあたりも、そういう資質がすごくある方だと思います。
矢部 皇室に入り、憑依するかのように適応された、と。
斎藤 それもあると思います。皇室のシステムがそうあることを要求するという面が多分にあるので。ただ宮中祭祀というものは、巫女役を自ら引き受けるくらいでないと、とてもやりきれないものだと思うんです。肉体的にもハードな行事が、通年続くわけですから。だから結婚で変わられた部分もあると思います。
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