被災地訪問、子育て……雅子さまにとっての「実存」
矢部 先生が2011年4月1日に書かれた「雅子妃への、きわめて控えめな提言」という「WEBRONZA」の文章も引用させていただきました。宮中祭祀や公式行事への出席のような「本当に意味があるかどうかわからない仕事」とは全く違う仕事だと、被災地訪問を勧めていらっしゃった。21世紀の今もなお象徴的存在にだけ可能な行為がある、その行為が雅子妃に「なにがしかの“実存の支え”と“回復の糸口”をもたらすのではないか」という表現にとても感動しました。
斎藤 あの時の私は震災後の軽躁状態で、普段は依頼された原稿しか書かないのですが、自発的に書かせてもらいました。自分が自分である、存在する意味がある。それを感じられる、ほぼ唯一のチャンスだと思い、この発生直後のタイミングで書かねばと。
矢部 先生の文章がアップされた5日後、皇太子と雅子さまが調布の避難所を訪問されたのですよね。
斎藤 あれには私も驚きました。
矢部 その後、東北にも行かれて、避難した人たちと接した雅子さまが涙を流す様子も報道されて、「実存」を感じていらっしゃるに違いないと思いました。ところが雅子さまバッシングの中でも最大級の「愛子さま山中湖校外学習へのお付き添い」が起きるのが、この年の9月なんです。
斎藤 2泊3日の校外学習の全行程に付き添われたのでしたね。
矢部 せっかく被災地に行かれて、いい方向に動き出したかと思ったのに、また世間の憤りを招いてしまう。愛子さまの不登校という出来事があり、雅子さまは子育てにのめり込んだと言われています。
斎藤 不登校には、雅子妃バッシングの影響がかなりあるわけです。お母さんが世間から責められているというのは子どもだってわかります。学校という公共空間に行ったら、どんな目で見られるか、子ども心に予測したりするわけです。
矢部 雅子さまも愛子さまもお気の毒ですが、理解が世間に広がりませんでした。文藝春秋の座談会で、先生が皇太子さまを擁護していたのも印象的でした。参内が少ないと批判されていましたが、心の病を得た人の家族としての振る舞いとしては、とても正しいと。
斎藤 病の妻と両親、どちらにもいい顔をしていては、妻の信頼は得られません。全力でお守りすると言った以上、極端に言えば時には両親も敵にするような行動は必然かなと思いました。
矢部 ですが、天皇家の孫が学校に行けないのは「躾」の問題ではと見る人も多くいて。
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