「食うために働いた世代」との間の埋まらない溝
斎藤 座談会でもあらわになっていましたが、どうも僕らより10歳以上年上の方には皇室のいろいろなことが「わがまま」に映り、容認できないんですよね。
矢部 終戦前に生まれた世代は、特にそうですね。
斎藤 食うために働いた世代ですから。
矢部 雅子さまに皇室が合わせる「雅子さま制」にするのか、と。
斎藤 いやいや、病気ですから。そこを理解すれば、「雅子さま制」などという発想にはならないと思うんです。批判する人は、何のためにするのでしょう。批判したら回復が遅れるのは当然で、そこが私には理解できない。
矢部 ビシッとしてほしいんだと思います。
斎藤 天皇の孫なのだから、学校など行かせず、一流の教師を呼んでご進講してもらえばいいと思うんですよね。遊ぶ場所は別に確保して。天皇家ですら学校という空間から逃れられないのかと思うと、忸怩(じくじ)たるものがあります。
矢部 美智子さまが子育てでも公務でも、何でもできてしまったから、上の世代の人たちはそれと比較して苛立つのだと思います。美智子さまバッシングも平成になってありましたが、広がらなかった。
斎藤 確かに比較対象としては、分が悪いですね。両陛下とも疎開体験があることを、この本を読んで知りました。
矢部 陛下は奥日光、美智子さまは軽井沢で終戦を迎えています。
斎藤 戦争を知らない世代には生存の危機はリアルでない。だから実存がなければ生きられない。その点、疎開体験とは生存の危機ですから、経験することで覚悟が、という表現はなんですが。
矢部 雅子さまに足りないと言われる(笑)。
斎藤(笑) 覚悟が違ってくると思うんです。戦時体験というのは人格レベルにすごく影響して、強くもなるし、もろくもなるのですが、両陛下の場合は強さに作用したということかもしれませんね。平和の希求にも影響を与えているでしょうし。天皇家ですから、「戦争責任」という言葉と無縁ではいられず、その責任感もあったでしょう。
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*続きは後編[令和の天皇皇后両陛下には「皇室の当事者研究」をお願いしたい]でお読みいただけます。