●快楽には哀しみと寂しさが伴う
――話は変わりますが、今回モチーフになっている『細雪』のように、花房さんが影響を受けられている古典作品について教えてください。
花房 古典文学なら、やはり『源氏物語』や『平家物語』には惹かれますね。平家は小説のモチーフにも何度か使っています。源氏の魅力は無常で、平家の魅力はその悲劇性で、それこそが私の思う「物語」です。
近代文学では、谷崎の『細雪』は実は私の中ではそんな順位は高くなくて、『鍵』のように欲望を剥き出しにしたもののほうが好きです。谷崎は作品もですけど、人そのものにすごく興味があります。芥川龍之介の『地獄変』も好きで、何度も読みましたね。大人になってからは漱石の『それから』が一番繰り返し読んだ作品でしょうか。
でも近代文学で一番影響を受けているのは坂口安吾です。ちゃんと読んだのは、三十代になってからですけど、今でも文庫本はよく持ち歩いています。『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』『青鬼の褌を洗う女』とか特に好きです。『女の庭』の主人公の絵奈子という名前は、『夜長姫と耳男』に登場するエナコからとりました。『夜長姫と耳男』は、昔は恋愛の話として読んでいたけれど、今は、創作というものの真髄を描いた作品だと思って、行き詰ったときに繰り返し読んでいます。
他にも日本文学は、読みたいけど、読めていないものが多いので、時間をつくってもっと読んでいきたいです。読書以上の快楽はありませんから。
――花房さんの作品は、現役バスガイドでいらっしゃるだけあって京都案内として楽しめるのも人気の秘密です。今回は京都の女の子が好きそうな京都スイーツがたくさん出てくるのもいいですね。「気持ちいいことが、好き」という特集テーマにあわせて、京都の気持ちいいスポットを教えてください。
花房 やはり、『偽りの森』の舞台となった糺の森でしょうか。糺の森は原生林ですが、参道を木が覆って、植物の匂いを吸い込むと、本当に気持ちがいい。糺の森を流れている川の水も冷たくて綺麗で、夏になると手を濡らして涼をとったりもします。危ないので、ひとりで行くことはおすすめできませんが、糺の森の夜は本当に静かで闇に支配されていて……おそらくほとんどの人は怖いと感じるでしょうが、私はあの闇と静寂がすごく好きで気持ちがいいです。
あと、京都御苑ですね。だだっ広い闇が街のど真ん中にありますが、京都は高い建物がないから空が広いし、森の中の道とか歩くと今自分がいる時代がわからなくなります。私の思う「気持ちがいい場所」って、普通の人にしてみれば怖くて不気味な場所なので、参考にならないかも……。
――最後に。花房さんはご自身の作品を、「性描写がたとえあっても男性が興奮するのではなく怖くなるから、本当は官能ではない」とおっしゃいます。男性にとって射精することが気持ちいいことだとして、女性にとって、気持ちいいとは何でしょうか。
花房 性的なことに関していうと、女性は肉体だけでも心だけでも満たされない生き物だから、「気持ちいいこと」というのはひとつの要素だけでは成立しない。女性用風俗が流行らないのは、女性にとってセックスは性欲の解消のみではないからではないでしょうか。
身体だけじゃなくて、心も欲しい。今までの作品でも書き続けて、私のテーマのひとつであるかもしれませんが、女性が欲情するときって、寂しさとつながっているから、その寂しさをどう他人と分かち合うかだと思うんです。
だから人は恋愛するのではないでしょうか。身体だけじゃ満たされないから、人を乞うてしまう、心も身体も両方が気持ちよくなりたいから、恋をする。
けれど性的なことに限らず、快楽は一瞬に過ぎません。ひどく刹那的なものだから、快楽は哀しみと寂しさが伴います。
ただ、相手不在の自分探しのオナニー的な恋愛やモテを追究するよりも、ひとりの人を心の底から全身が震えるほどに愛してると思えたときに、このまま殺して欲しいと望んでしまうぐらい「気持ちいい」のではないでしょうか。たとえ胸が張り裂けるほどの痛みを伴う一瞬の閃光のようなものであっても、この人のためなら死ねると思えるぐらい愛している男と抱き合う以上の幸福と快楽はありません。