プロテイン事業を始める
私は今、プロテインの受託製造というニッチなビジネスを行っている。その名も「プロテイン工房」。クライアントの注文を受けて、原材料や配合など、希望に沿ったプロテインを製造する仕事だ。なぜこのような、マニアックともいえる商売を始めたのか。
三陸沿岸部に移住し、漁師をしていたのではないか。フィットネス業界にまた戻るのか。ここまで連載をお読みいただき、疑問に思われる方もいると思うので、まずはそこからお話ししていきたい。
移住8年目に起きた心の変化
2018年の春、私は漁師という職業を自分の人生の中心に据えることができなくなっていた。
2011年に起きた東日本大震災を機に三陸沿岸部へ移住し、漁師になった。海で働くことの素晴らしさを体感した。町おこしイベントなども行い、この町の素晴らしさはもともとの住民以上に分かっているつもりだ。
しかし、ここでの暮らしは慣れてしまえば同じことの繰り返しだ。接する人は変わらず、刺激もない。東京にいた20代の頃からそうなのだが、私は先が見えると、途端に飽きてしまう。
これは自分の性分で、誰のせいでもない。その根っこにあるのは、いつもチャレンジングな目的を持って生きていきたいという思い。それと、毎日同じような生活を繰り返すことで、自分が鈍ってしまうことへの恐れだ。
漁業が素晴らしい仕事であることは間違いない。今でも、「男なら生涯に一度は漁師をやるべき」と言っている。ただ、誤解を恐れずに言えば、漁業は、やる気さえあれば誰にでもできる仕事だ。
そこに、自分の一生をかける価値はあるのか。もっと他に自分の力を、人生を捧げるべき仕事があるのではないか。
一度そんなふうに考えてしまったら、海での仕事に情熱を注げず、ただの作業としてこなすだけの自分がいた。自分の心にはいつも正直でありたい。私は別の場所に、別の目的に舵を切ることにした。
次のページ:大きな失敗を経て気づいたこと
移住サバイバル
東日本大震災を機に宮城県石巻市に移住した山本圭一さん。家なし、知り合いなし、文字通りゼロから始まったサバイバル生活の記録。