大きな失敗を経て気づいたこと
移住生活の中で、私は一つの失敗をした。これは移住サバイバル上、痛恨の失敗であり、漁業を辞め他のことをやろうと決意する一つのきっかけになった。このことを正直に話そうと思う。
私が関わっていた集落で、よそ者の私を目の敵にする人がおり、私は彼と最終的に対立するようになってしまったのだ。
最初の頃は適度な距離を保ちつつ接していたのだが、その悪辣さに耐え兼ね、私は次第に彼に意見するようになっていった。
彼は威圧的で、自分に媚びない人を敵とみなし、作り話を周囲に吹聴するようなタイプだ。地元では彼の話をまともに聞く人はいないのだが、かといって、その行いを諭す人もいない。結果的に彼が幅を利かせる状況になっていた。田舎や旧態依然とした組織ではよくあることだ。
漁業を続ける限り、彼と日常的に接しなければならない。これは私にとって非常に苦痛だった。周囲の人々は、私に味方することもなく傍観するだけ。
そんなことが1年近く続き、私は、なぜこんな嫌な思いをしてまで、ここで漁業を続けなければならないのかと思うようになっていった。と同時に、先にも述べたように、新たな挑戦をしたいという思いも募り、私はさっぱりとこの集落を離れ、漁業も辞めることにしたのだ。
集落であれ組織であれ、嫌な人にも迎合して表面的にやり過ごし、うまくやっていくのが日本的な常識だとは思う。しかし、私には、自分をごまかしてまで、そこで生きていこうとはどうしても思えなかった。田舎に住んでいるからといって、心まで田舎者にはなりたくない。
ただ、言い方を換えれば、私はこの濃密な数年間においてでさえ、この地で生きていく理由を見出せなかったのだと思う。移住生活におけるもっとも重要なところが欠けていた。
どこで暮らしていても、生きていれば様々な障害が立ちはだかってくる。住み慣れた地を離れて移住した先であればなおさらだ。それを乗り越えるバネとなる理由、動機、思い。それがなければ、障害を避けてまわって生きていくしかない。
そんな私だからこそ、移住を考えている人には、何があってもそこで生きていく覚悟ができるか、そこに骨を埋める価値を見出せるかを、しっかりと見極めたうえで行動に移した方ほうがいいと言いたい。
もちろん週末移住のようなカジュアルなスタイルもある。しかし、人はいずれは安住の地を見つけなければならない。生涯放浪の生活を続けるのは、なかなか難しい。その意味でも、移住には覚悟が必要だと思うのだ。
そして私は、移住の覚悟も価値も見出せないまま、次のステージへと進むことになった。
次のページ:「これからはプロテインが来る!」
移住サバイバル
東日本大震災を機に宮城県石巻市に移住した山本圭一さん。家なし、知り合いなし、文字通りゼロから始まったサバイバル生活の記録。