はらから福祉会「登米大地」の挑戦
工場の話をしたい。当社の契約工場は先にも述べたように就労継続支援(B型)として、ここに通所する利用者(知的障碍者)は、仕事ではなく、職業訓練をしているという建付けになっている。1日通所すると何千円かが国から施設に支給される。これを原資に設備の維持、職員の給与、原料の買付けなどを行っている。
中には、利益がほとんど出ない作業をさせて、お上からの補助金を受け取るだけのぶらさがり団体もあると聞く(最近は制度が厳しくなり、収益化できないと補助を減らされるようになったらしいので、今後そのような団体は減っていくとのことです)。
そんな中、登米大地を経営する「はらから福祉会」は、補助金にぶら下がるのではなく、他にはない自社製品の開発(自社開発の豆腐では日本一にもなっている)や、世の中のニーズに合わせた食品加工の分野をコツコツと20年間にわたって積み上げ、利益の出る事業を積極的に行ってきた。B型施設の工賃(知的障碍者が受け取る給与みたいなもの)は、私の住む宮城県では常にトップクラスを維持している。
しかし、不景気の影響で、一般企業でも軒並み倒産していく時代。このような団体であっても、この数年はかなり厳しい状況に立たされている。そんな状況の中で、プロテイン工場として再起を図ろうとしているのである。
ソーシャルプロテインの誕生
知的障害者たちや、職員と話をする中で、私はひとつの考えにたどり着いた。
プロテインを通じて社会貢献が可能ではないか。
お客さんにうちのプロテインを買ってもらうことで、その収益が工場に入り、利用者の工賃がアップする。これは寄付や支援ではなく、正当な労働対価として支払うものだ。いまどきの言葉で言えば、「エシカルなプロテイン」だ。
東京時代、私は、フィットネス(健康体力づくり)が社会に良い影響を与えると信じて活動していた。この考えを直接的に実行できるチャンスを、移住先で手に入れたのである。
もちろん、自分の事業で日本のすべての障碍者の工賃を上げられるわけではない。だが、もし障碍者が作ったプロテインが世の中に出回り、良い商品として一般の人々に認められるようになれば、彼らの地位向上につながる。さらには、工場の仕組みと職員教育をノウハウ化できれば、他の組織、地域でもプロテインの製造が可能になり、日本社会全体に良い影響を与えられるかもしれない。
そんな思いを込めて、私は知的障碍者たちが作ったプロテインに「ソーシャルプロテイン」というブランドを付けることにした。
現在、1袋あたり200円が彼らにわたり、工場で働く30名以上の利用者の工賃(給与みたいなもの)は月4万円を超えた。目標は月7万円。
これは、はらから福祉会全体の目標でもあり、次なる道を模索していた私にとっても新しい生き甲斐となった。越えなければならない山は険しい。だが、移住先で抜け殻になっていた私は、水を得た魚のような気分で、再スタートを切ったのだ。
移住サバイバル
東日本大震災を機に宮城県石巻市に移住した山本圭一さん。家なし、知り合いなし、文字通りゼロから始まったサバイバル生活の記録。