日本人の4人に1人がルイ・ヴィトンを持っている
バブルの頃。ルイ・ヴィトンの全世界での売り上げの約60%が日本だとか、日本人の4人に1人がルイ・ヴィトンを持っているだとか、都市伝説のようにいわれていたことがあった。
実は、フランス国内にわずか2拠点になってしまったルイ・ヴィトンが、第二次世界大戦後、初めて国外に出店したのが日本だった。日本への進出は1978年3月。東京に3店舗、大阪に2店舗、計5店舗が開業した。同年9月にさらに1店舗をオープンさせ、一気呵成の出店が続いた。そして1981年、銀座に直営店をオープンする。
そこから10年ほどで、ルイ・ヴィトンの売り上げの半分を日本人が占めるようになったともいわれている。まさに日本がバブルへと駆け上がっていく時期だ。
余談だが、ルイ・ヴィトンといえば「モノグラム」が人気で、売り上げの約6割はモノグラムだともいわれている。そのモノグラムが、実は日本の家紋に触発されたものだというのは、ご存じだろうか。また、「ダミエライン」も日本の市松模様にヒントを得たといわれている。それだけ日本とルイ・ヴィトンの相性は良かったといえる。
現在でも、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)グループの「日本」ディビジョンは2ケタの増収を達成し引き続き好調である。グループの2018年12月期(2018年度)連結決算を見ると、主力の「Fashionand Leather Goods(ファッション・皮革製品)」が好調に推移。売り上げ収益は過去最高を記録している。「日本」ディビジョンも33億5100万ユーロ(約4188億7500万円、1ユーロ=125円で換算)、13・3%増と健闘している(アパレル・ビジネス・マガジン「財務分析レポート」)。
さて、ここから何が読み取れるだろうか。
リユースの観点から見れば、1970年代後半から今日まで、それだけルイ・ヴィトン製品が日本国内に持ち込まれ続けているということである。くわえて、それを受け入れる消費者、つまりはそのブランド価値を理解した消費者がいるということでもある。
ルイ・ヴィトンは一つの代表例だが、多くのブランドでも同じことがいえるだろう。日本は、有名ブランドのセレクトショップのような役割を果たしている。
日本の消費者の審美眼に応えるように、日本では「目利き」というプロが存在している。このことが大きい。モノを見極める際の消費者の厳しい目。いったん手にしたモノを大事に扱う丁寧さ。そしてその製品が再び市場に出てきた際に状態を見極める専門家の存在。
そうしたものが日本のリユース・マーケットそのものの品質を担保している。状態の良いモノが専門家によって価値づけされているからこそ、わざわざ訪日し日本のリユース品を買い付けていくのだ。「目利き」については、後ほど、もう一度述べたい。
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