立て看もチラシもない”キレイ“なキャンパス
國分 でも、本当に大学生なんかは「時間をかけて骨抜き」にされた感じですよ。いまは各地の大学で、学外活動というか、講義を受ける以外の活動がどんどん制限されてきている。部室をキャンパスから排除するとか、学生会館を夜十時で閉めちゃうとか。
麻木 そうそう、うちの娘は先生の後輩で早稲田なんだけど、部室が集まっている学生会館は十時に消灯。
國分 看板やチラシなんかも、ものすごく厳しいみたいですよ。いま早稲田へ行くと、大隈銅像の周りに何もないんです。昔は大隈さんの姿も見えないほど、立て看でいっぱいだったのに。
麻木 そう、それに入学式ではサークルの勧誘禁止で、チラシをまいちゃいけないの。勧誘してもいい日は別に決まってるんだって。たしかにキャンパスは”キレイ“でした。
國分 そういうことをしておいて、学生に「最近の若者は元気がない」と言ってもね。
麻木 大学だけじゃなくて、統治する側というのは、人々を飼い慣らそうとするものでしょう。それはもういつの時代も、どこの国でも同じ。
しかも日本では、飼い慣らそうとしていること自体を、若者に気づかせないようにしてきた。だからいきなり若者に「目覚めよ」と言ったって、それは無理。この現状から、みんなが立ち上がる、本当の意味での政治の季節が来るのは、かなり難しいと思います。
3・11以降、参加人数の多いデモや集会があったりして、新しい市民運動の時代が来たって言う人がいるでしょ。私は正直言って、ほんとかなって思ってる。政治的な発言をするということは、さっきも言ったみたいに、党派性を帯びることとイコールなのに、それをないことにして、「党派性のない、全く安全なデモですよ」って言われてもね。政治に関わるリスクをないことにしている運動は、「政治」なんだろうか。
國分 今日の対談の結論が出ちゃいましたね(笑)。
小平の運動について言えば、住民投票の目的は、みんなが意見を表明する場を設けることにあったんです。行政は、住民の意見に全く耳を傾けずに道路計画を進めてきましたから、なんとか意見を表明する場をつくろう、と。住民投票運動はその意味で「反対運動」ではありませんでした。
ただ、僕自身はやっぱり道路建設には反対だから、当然〈反対派〉っていう党派に入るわけです。それを中和することはできない。そこは引き受けなきゃいけないと思っています。
だから、バランスなんですよね。麻木さんは、かつての一部の過激な学生運動は人々の心からかけ離れてたって言ったけど、まさにそのとおりで、心からかけ離れた党派じゃダメ。僕は本の中では「気持ち」という言い方をしてるんですが、やっぱり気持ちとリンクしているところで運動をやらないと。どうしても党派性は出てくるけど、でも党派のためじゃないんだ、気持ちのためなんだっていうような、そういうバランスをうまくとっていけるといいなと思いますね。
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