「意見が違うのは当たり前」と実感することから
麻木 本来、党派性って、組織じゃなくて自分の内側にあるものなんじゃないのかな。一人ひとりにそもそも党派性というものがあって、それらがくっついたり離れたりして、集団としての党派になっていく。たしかに自分の中の党派性、政治性をないものにしておくほうが、この国では円滑に生活できる。でも、「じゃあ、あんたとは闘うしかない」とか、「あなたとは組めそうだ」とか、そういう肝心な話をするためには、まず己の中には党派性があることを認めないといけないよね。
國分 「一人ひとりの党派性」っていうのは、とてもいい言葉ですね。
今回運動をやってみて思ったのは、みんな日常の会話で政治の話は避けがちだけど、やっぱりしたほうがいいってこと。小平の僕の周りでは多少するようになったんですよ。たとえば近所のママ友とコンビニで会って、道路建設について十五分ぐらい立ち話したりする。
そういうときに重要なのが、相手と意見が違うのは当たり前だと実感できることなんです。政治の話をしていたら、必ず意見が違うところが出てくる。というか、政治の話は、違うのは当たり前だよねってところから始まると思うんですよ。
麻木 私もそれが議論の土台だと思う。意見が全部一致しなくても、「もうお前という人間が許せない!」とならないことが大事なのよね。ところが日本の場合は、意見が一致しないとすぐに、「あいつ、カネでももらってんじゃねえのか」とか、「あいつはバカだ」ってなっちゃう。こうなるともう政治の話はできない。まあ、意見が違う人から批判されると、たしかにムカつくけどね(笑)。
國分 今回の運動では、道路建設賛成の人に会っても、「まあ、その話もわかりますよ」っていう人たちが、反対派のなかに多かったんですよね。それは、自分の意見に自信があったからかもしれない。自分の意見に自信があると、違う意見が出てきても、「とりあえず話を聞かせてください」と言える。自分で自分の意見を信じていないと、いつ崩されるかわからないから、反対意見に対してヒステリーを起こしてしまう。
だから、政治的な議論を成立させるためには、まず自分で自信を持てる意見をどうやってつくっていくかが重要で、それには――ごくありきたりな結論ですけど――いろんな人と話をすることがとにかく大切だと思うんですよね。
僕自身、この活動を通じていろんな人と話をして、最初にあった意見がだんだんと磨かれていった。この本は、そうやってこの半年の間につくってきた意見を、忘れないうちに書きとめた本でもあるんです。
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