何が起こるかわからない世界だからこそ、見てみたい
否応なしに起きる革命に備えて行動を起こすというのは、どこか消極的で受け身の印象を持ってしまう人もいるでしょう。でも私は、最終的に何が起こるかわからないからこそ面白いと思いますし、ソフトバンクの孫正義氏と同様、シンギュラリティを「見てみたい」と思います。
地球上の生命は、40億年かけて進化を続けてきました。ダーウィンの進化論によれば、そこに「目的」はありません。よく「キリンの首は高い木の枝を食べるために長く進化した」といわれますが、これは不正確な説明です。たまたま突然変異で長い首を持って生まれてしまった個体が、周囲の環境に適応した(おそらく高い木があったのでしょう)から生き残り、子孫に自分の遺伝子を継承することもできた。それが基本的な生物進化のメカニズムだと考えられています。
ヒトという生物も、そういうプロセスで生まれました。これからさらに進化するとしても、そこに「こうあるべき」という目的は必要ありません。結果的に環境に適応した者が生き残り、繁栄していきます。
人類の場合、その「環境」は自然環境だけではなく、自らつくり出したテクノロジーもそこに加わりました。人工知能やロボットが人間から仕事を奪うのだとしたら、それは新たな天敵が登場したようなもの。どんな生物の進化にもあった「環境の変化」です。
その自ら生み出した環境変化に人類がどのように適応し、新たな進化を遂げていくのか。私はそれを見たいと思います。
そもそも、現在の人類がテクノロジーという環境に完全に適応しているかといえば、決してそんなことはありません。たとえば、自動車。このテクノロジーを人間が完璧に使いこなせているとはいえません。日本国内の交通事故死は一時よりかなり減りましたが、米国ではいまでも毎年3万人もの人々が自動車事故で亡くなっている。日本でも年間4000人以上が亡くなっています。人類が生み出した最大の殺人マシーンとさえ呼べるのが自動車です。
もし、その自動車が人間の手を離れてすべて自動運転車に置き換わり、人工知能の制御によって交通事故死がほぼゼロになったとしたら、それはテクノロジーの進化であると同時に、人類の進化ともいえるのではないでしょうか。そう考えると、運転士という職業が機械に奪われるのは敗北でも何でもありません。
不老不死を目指すような医療テクノロジーはどうでしょう。最近の老化に関する論文は、実験で動物の寿命を20〜40%も長くできたといった成果であふれています。免疫抑制剤のラパマイシンや、がん抑制効果もある糖尿病治療薬のメトホルミンなどの老化防止能力も注目され、学会もその可能性を認めました。それ以外にも、血液を若返らせる方法や、高齢のマウスから老化細胞を除去して寿命を延ばす研究などが行われています。
そんなテクノロジーの進化は、人間の「死」をめぐる議論を活発化しました。「寿命の延長は人類にとって良いことなのか」「死なない人間は人間といえるのだろうか?」といった疑問が投げかけられるようになったのです。
たしかに、「生」と「死」は表裏一体なので、「死なない人間」は生きているのかどうかわからない、という気がしなくもありません。しかし、これまで医療技術の進歩によって成し遂げてきた寿命の延長に、どこかでストップをかける理由もなかなか見当たりません。
そう簡単には答えの出ない問題ですが、現在の常識的な感覚だけで判断を下すべきではないのかもしれません。仮に寿命を何百年にも延ばすテクノロジーが実現し、人間が不老不死に近づいたとしたら、その環境変化によって「人間性」という概念そのものが進化している可能性もあります。そのときの生死をめぐる議論は、現在とはまったく違うパラダイムで展開されているのではないでしょうか。
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シンギュラリティ・ビジネス
2020年代、AIは人間の知性を超え、2045年には、科学技術の進化の速度が無限大になる「シンギュラリティ」が到来する。そのとき、何が起きるのか? ビジネスのありかた、私たちの働き方はどう変わるのか?