70迎えて、死生観が変わった
坂 本に「死生観が変わった」って書いておられるでしょ? 確かに、僕は家内は生きているけど、それでも70ぐらいになるともう息子たちは当然大人だし、孫もいるし。そうすると別に、どうしても生きていなきゃいかん、というのは薄くなるよね。子どもが小さい時はやっぱり自分が死んじゃまずいと。凄く忙しくて子どもの面倒なんか全然見られなかったんだけど、それでも一応そう思っているじゃない。やっぱり年齢で多少そういう感じが変わってくるよね。
西田 そう、変わってくる。
坂 僕は家内が亡くなったりしたら、ますますそういうことはあるのかなと思うな。ただ、どんどんそっちの方に落ち込んでいっちゃったらまずい。
西田 あと、奥さんが残されると、一般論として、収入的に奥さんのほうが少ないでしょう。これは世間の女性方に失礼かもしれないけど。だから、僕が先に死んだらあと妻が死ぬまで生きていけるようにしてやらないといけない、そういう金銭的な面の構えも必要。
それから、僕も妻も、前の連れ合いとの子供がいるので、死んだあと決してトラブルが起こらないように、公正証書できちんとそこのところをはっきりしてと、そういうことをした。妻のお骨も二つに分けて、向こうは向こうで。
坂 へえ、奥さまのお骨を二ヶ所に?
西田 うん。前のご主人のお墓に半分入って、そこを向こうの子どもたちはお参りすると。で、半分はうちの墓に入れて、僕はこっちでお参りするという。もうはっきりそれで分けた。そうしたら、向こうが例えば色々な仏事をしようがしようまいが……彼らは考え方も若いし、仏教的なやり方がめちゃくちゃなところもあるけど、それは向こうのことと割り切って、口を挟まなくていいでしょ。
でも、そうやっていくと誰もいないんですね、僕のあとに。そうしたらもう今日死んでもいいし、5年先に死んでもいいし。そういう意味での死生観は変わりましたね。あとは、仕事は自分なりにやったという気持ちがあるから、もういいでしょやらなくてもって。坂さんだってそうだよね。
坂 うん、もう十分働いたという気はするね。
西田 20歳頃にお互い夢を語り合った、あの頃に戻って考えたら、俺たちは十分やったよな、と。もういいよな、もう許して、もうこのままサボってもいいよな、という気持ちが片一方であるわけ。でも患者さんを見ていたら、いや、まだまだこの人のためにしないといけないとか、あるいは顧問にされたりして、まだ僕を必要とする場所はあるんだな、とか。そこのギャップはあるけど、基本的にいつでも逝っていいという感じなんだ。
坂さんの方は、奥さまがお元気だと、そこが引っかかってくるわけだよね。あと、実の子どもさんとお孫さんとか、全部やっぱり気になるだろうけど、僕の場合、ある意味で天涯孤独みたいな感じだから、もういつでもいいよなと。
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