「働くことには価値がある」と言い続けずにいられない女たち(小島)
小島 小説を書き終わってから発見したことが一つありました。もともと連載していた媒体が40代向けの「DRESS」(gift刊)という雑誌なので、小説に登場する女性たちの「働き方」は40代の価値観なんです。
田中 どういうことですか。
小島 つまり、男並みに働くということが特別なオプションだった時代の女の人たちの価値観なんですよね。それより若い人たちは、パートにしろ派遣にしろ、とにかく共働きでなければ子どもを行きたい学校へ行かせてあげられないという世の中になりましたけど、今40代以上の女性たちは、働いても腰掛けで、そのあとは専業主婦。働き続ける女の人というのはよっぽどの苦労人か、エリートという状況でした。
田中 確かにそうでしたね。
小島 その中で男性と同じ待遇を得られる職業に就いた女性たちは、「こうして働くことには価値がある」と言い続けずにいられない。そして、「私にとって価値がある、その仕事がみんなに認められるものでないと、わざわざこれを選び取った自分の人生というのが、そうでなかった人生に比べて価値があるとは証明できないのではないか」と、自分で自分を追い詰めて、それを語らないといられない自意識過剰さを持った人たち。それが望美、まなみ、アリサという人たちなんです。
田中 そうかそうか。
小島 男の人がその感覚はよくわかんないっていうのは、男は「働かない」という選択肢がないので、「働くとは?」という問いも発生しないんだと思うんです。そういう意味でいうと、私たち世代の「働くこと」が特別なオプションで、それを選び取ったことに理由が必要だった人たちの葛藤の物語だった。それは書き終わってわかったんです。
田中 ああ、女子アナじゃなくても、その世代の働く女性たちに共通する葛藤だということですね。
小島 はい。設定を女子アナにすると、それがわかりやすい。
田中 カリカチュアされる。
小島 そのしんどさというのは働かなかった女性の中にもあるのではないかなと思います。働かなかった人たちだって、「『働かない』というほうを選んだんです。専業主婦を選んだんです。専業主婦には価値があるんです」と言わずにはいられない。それは、働いてお金を生み出す人たちに価値があるという、その男社会の常識に対する、いわばレジスタンスだったわけですね。でも、共働きが当たり前になった世の中で、だんだん成立しなくなってきて、もう終わりつつある価値観の中での葛藤なんですけど。
田中 女子アナは若い世代でもまだそれを引きずっているから、そのまま読んでくださいっていう話なわけですね。
小島 そうですね。自身の働き方ということだけじゃなくて、男社会だったところに女が「私も仲間でーす」と入っていくと、「建前上は、待遇は一緒だけど、ここはもともと男の場所で、おまえはおミソなんだから、男のふりして入ってくるんじゃねえ。女として入ってくるんだったら、より女らしく入ってこい」みたいな理屈があるんじゃないか。女はそういうものを働きながら感じることがあるんじゃないか。そんなことも描いてみたかった。
田中 だから、日テレは、「うちはこの方針です」と言ったらよかったんじゃないかな。「清廉なお嬢様タイプで行きますから、それ以外は要りません」って。
小島 そうそう、最初からそう言えばよかったと思うんです。でも、制度面では男女は平等だし、「女なんだから、男のお眼鏡にかなうようなお嬢さんでいろ」なんてことは、とても公言はできませんよね。だけど、そう思っているわけですよ。そのいわば本音と建前のズレが露呈してしまったのがあの女子アナ内定取り消し騒動でしょう。でも、そんなことはそこらじゅうで起きていることだと思うんですよね。