それは1本の電話から始まった。三谷幸喜さんが構想40年(!)の末に書き下ろした原作小説の背景に迫ります!
始まりは長い付き合いで初めてかかってきた電話から
――三谷さんとのお付き合いはいつからですか?
15、6年前くらいですね。当時は、『古畑任三郎』『王様のレストラン』といった数々のテレビドラマを手がけておられて、その頃から舞台にテレビにとすでに売れっ子でした。私は前任者から担当を引き継いだのですが、最初はあまりしゃべってくれないし、会話もかみ合わないしで、繊細な人なんだな、という印象でした(笑)。それから、清水ミチコさんとの対談本を4冊(『いらつく二人』『むかつく二人』『たてつく二人』『かみつく二人』)をつくりましたが、単著での本をお願いしたことはなかったんです。
─それがどうやって『清須会議』に至ったのですか?
電話がかかってきたんです。たしか、三谷さんが脚本・監督した映画『ステキな金縛り』が公開される前年の2010年。そのときまで三谷さんが私の携帯電話に直接かけてくるなんてことはまずなかったのに、突然着信があって、「何かトラブルがあったに違いない!」と勝手に緊張して電話に出ました。そうしたら、「自分は人前に出て映画を宣伝するのが苦手だから、宣伝代わりに本を出したい」と。うれしくて、「ぜひやりましょう」と二つ返事でした。
――完成まで2年かかったんですね。
いろいろと企画を提案したんですけど、ご多忙なので、話が全然進まなくて。「やっぱり無理かな」と思っていたら、三谷さんが生誕50周年を迎える2011年に「三谷幸喜大感謝祭」が開催されて、新作劇4本、映画とドラマを1本ずつ発表するという中に小説も入れてくれたんです。記者会見で「書き下ろし小説を幻冬舎から出します」と公言してくれて、やった、やっと書いてもらえるなと思いました。
とはいえ、舞台や映画には初日があるし、ドラマは放送日が決まっているしで、小説はどんどんうしろ倒し。結局、7月生まれの三谷さんがギリギリ50歳だった2012年6月、「三谷幸喜大感謝祭」のラストを飾るかのように『清須会議』を刊行することができました。しかもさすが三谷さん、本当に偶然の巡り合わせで、発売日の6月27日は清須会議が行われたのと同じ日だったんです!
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