第一章 「邂逅」
勝った後に飲む酒は美味い。西山秀二はしみじみ思った。
今日のような試合の後は、特に。
彼が所属する広島東洋カープは、この日、名古屋に乗り込んでの中日ドラゴンズ戦に12対5で快勝していた。これで貯金は13となり、2位中日とのゲーム差は4・5に広がった。
シーズンが半分も過ぎていないことを思えば、楽観するにはまだ早い。それでも、気の早いカープファンの間では5年ぶりの優勝を期待するムードが高まりつつあった。
無理もない。それぐらい、この年の広島打線は強力だった。
なにしろ、62試合を消化した段階で、3番の野村謙二郎から8番の西山まで、6人の打率が3割を超えていたのである。チーム打率2割9分2厘は、ぶっちぎりの最下位を走る阪神タイガースのそれを5分も上回っていた。対戦するピッチャーからすれば、悪夢のような打線である。
しかも、この時代の広島はただ打つだけのチームではなかった。いや、この時点でチーム本塁打王の金本知憲が7番に控え、8番に入るキャッチャーの西山が3割4分の打率を残しているのだから、とてつもなく強力な打線であったことは間違いない。ただ、彼らにはもうひとつ、大きな武器があった。
足である。
最終的にこのシーズンの盗塁王となる緒方孝市を筆頭に、赤ヘルたちは走って走って走りまくった。およそ俊足とは言い難かった西山や大砲の江藤智でさえ、相手にスキを見て取ればすぐに次の塁を盗みにかかった。走者を背負った相手バッテリーが目前のバッターに集中できるのは、塁上のランナーが前年度にアキレス腱断裂の大怪我を負っていた前田智徳の場合のみだった、といってもいい。警戒を怠れば走られ、警戒しすぎれば打者への対応が疎かになる。セントラル・リーグの多くのピッチャーが、そうやって打ち崩された。
打撃にはスランプがあるが、守りと足にスランプはない。長く野球界で伝えられてきた定説に則れば、今年のカープに大きなスランプが訪れることは考えにくい。まだシーズンは半分以上残っているにもかかわらず、ファンの間で5年ぶりのビールかけを期待する声が高まるのも、無理からぬところだった。1975年の初優勝以来、広島は6度セ・リーグを制してきたが、5年以上優勝から遠ざかったことは、なかった。
当然、広島の選手たちはまだ何かを手にしたわけではないことをわかっていた。断トツ最下位の阪神はともかく、5位の読売巨人軍とは7・5ゲーム差しかない。潤沢な資金にモノをいわせ、毎年のように大型補強を繰り返す巨人は、西山にとっても依然、不気味な存在だった。
だが、終盤の猛打で接戦をモノにし、首位攻防戦のファーストラウンドをとったこの日のような夜は、やはり気持ちが弾む。まして、場所は広島ではなく名古屋。流川ではなく栄だった。常に熱狂的な赤ヘルファンの視線を意識せざるをえない流川とは違い、人の目をあまり気にせずに酒を楽しむことができる。
入団12年目のベテラン、正田耕三と一緒に繰り出したのは、繁華街の雑居ビルにあるラウンジである。職業柄、遠征の多いプロ野球選手はビジターとして訪れる街にいきつけの店を持っている場合が多いが、西山がその後20年も名古屋遠征のたびに顔を出すことになるラウンジは、正田の馴染みの店だった。
週半ば、水曜日の夜ということもあり、客の数はそれほど多くなかった。西山たちの身体にようやく酔いが回ってきた頃になると、店はほぼ貸切りといってもいい状態になっていた。
いいようのない解放感が、全身に広がっていく。
勝った後に飲む酒は美味い。西山秀二はしみじみ思った。