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2017.12.06 公開 ポスト

『プライド』の冒頭50ページを特別先行公開!

髙田延彦 vs ヒクソン・グレイシーの真実が、20年の時を経て、初めて明かされる。金子達仁(ノンフィクション作家)

 ビン付油の甘い香りを漂わせ、体格のいい男が近寄ってきた。

 西山秀二は仰天した。

「あの、広島カープの西山さんと正田さんですよね?」

 にこやかに声をかけてきたのは、人気関取の寺尾常史だったからである。

 地元広島では知らない人がいないほどの有名人である西山と正田だったが、全国的な知名度となると、そこまでのものはない。

 その点、当時の角界では珍しい筋肉質な肉体と甘いマスクで女性ファンも多かった寺尾の人気は、掛け値なしの全国区だった。福薗好文という本名を知っている人は少ないが、最高位で関脇まで昇進した寺尾の顔と名前を知らない日本人も少ない。大相撲名古屋場所の開催を控え、早めに名古屋に乗り込んでいた珍客の出現を、西山たちは大いに歓迎した。

 しかも、酒席に加わったのは寺尾だけではなかった。スポーツ番組のキャスターを務め、最近では選挙に出馬して世間を驚かせたそのプロレスラーを、もちろん西山は知っていた。

 髙田延彦である。

 西山はプロレスが好きで、寺尾は広島カープが好きで、髙田は元野球少年だった。

 そして、皆、酒が好きだった。

 ラウンジの雰囲気は一変した。

「もうね、寺尾さんと髙田さんの飲み方が凄くって。プロ野球の選手、あんなには飲まれへんもん」

 当然のことながら、西山は知らなかった。かつて、寺尾と髙田が部屋と団体の若手を連れて飲みに行った際、ビールと焼酎は別にしてウィスキーのボトルが27本ほど空いてしまったこと。二人が懇意にしているつもりだった店に忘年会の予約をしたところ、窓という窓に台風避けのような板が打ちつけられるという厳戒態勢が敷かれていたこと。忘年会の後はついに出入禁止を突きつけられたこと。

 格闘家とプロ野球選手、双方の間に若干はあった遠慮は、酒の勢いであっさりと駆逐された。寺尾たちにとってはいつもの飲み方だが、西山と正田にとっては人生で初めて経験する暴風雨のような酒だった。

「どっちが言い出したんかなあ、髙田さんだったか寺尾さんだったか。とにかく、酒が進んでくるうちに二人が脱ぎ出したんよ」

 これもまた、寺尾たちにとってはいつもの展開だった。髙田にしろ寺尾にしろ、酒が進むと鍛え上げた己の肉体を披露したくなる衝動に駆られるらしい。となれば、当然上半身を露にしただけでは終わらない。

「お互いの身体をバチバチ叩き合い始めてね。もう、二人とも思いっきり、バチーンって。どや、俺の筋肉凄いやろ、みたいな感じで」

 これでも終わらない。

「お前らも脱げって迫られて。だいたい想像つくと思うんやけど、こっちはお二人みたいな筋肉質なタイプちゃうから、できることなら脱ぎたくない。でも、結局はそんなんおかまいなしで脱がされて、『なんやその腹、もっと鍛えなあかんやろ!』みたいなこと言われて」

 暴風雨は、もちろん、正田にも襲いかかった。5年連続で三井ゴールデン・グラブ賞を獲得した名二塁手の上半身を見て、寺尾は密かに「ほお、いい身体してる」と感心したが、髙田から発せられたのは「なんだ、そのしょっぱい身体は!」なる言葉だったという。

 それでも、少なからず理不尽な側面もあった寺尾たちとの飲み会を、西山は大いに楽しんだ。東京や大阪に本拠地を置く巨人や阪神のようなチームの選手ならばいざ知らず、地方都市・広島をフランチャイズとするカープの選手にとって、これはそう多くはない全国的な著名人との酒席だった。

 実はこの時、酒席には格闘家だけでなく、愛知県名古屋市に本社を置くテレビ局の子会社の若手社員も加わっていたのだが、西山にその記憶はない。肉体そのものを武器にしている男たちのオーラは、プロ野球選手の目から見ても圧倒的だった。末席にちょこんと座っていた一サラリーマンのことを覚えていないのも、当然といえば当然である。

 誰が言い出したか、一行は当たり前のように次の店へと繰り出すことになった。

 全員、上半身裸での移動だった。

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金子達仁 ノンフィクション作家

1966年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒。サッカー専門誌の編集部記者を経て、95年独立。96年、Sports Graphic Number誌に掲載された「断層」「叫び」で、ミズノスポーツライター賞受賞。『28年目のハーフタイム』『決戦前夜』『ターニングポイント』『泣き虫』『熱病フットボール』など著書多数。近著には、義足アスリート・中西麻耶の壮絶な生き様に迫った「ラスト・ワン」がある。

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