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70歳、はじめての男独り暮らし

2018.01.25 公開 ポスト

【新春特別企画】70歳、はじめての男同級生対談

70すぎると風呂が怖い<対談後編>西田輝夫(医学博士)

70歳はなにかあっても当たり前

西田 僕らが、いま50歳とするでしょ、で、胃がんだと言われるでしょ。この、まだ生きねばならないというときのがんの治療とね、70歳過ぎてのがんの治療とね、本来そこで区別すべきなんだけど、実は医者はそれを区別してない。もう肺がんは肺がんの治療ということで。アメリカなんかは、70過ぎたら、腫瘍マーカーの検査しないんだって。知ったところでどうなるのか? という発想らしい。

 なるほどね。

西田 僕この間ね、腫瘍マーカー受けたら、1.5が正常のとき2.2なんだよ。そうしたら担当した先生が「西田先生、ちょっと精密検査して下さい」と言うわけよ。だから「先生、聞くけどね」と。「ほかの患者さんで本当のがんの人、どれぐらいの数字になるの?」と言ったら、100とか言うんだよ。そんなね、それね、がんの人が100でしょ、正常値1.5でしょ、俺は2.2でしょ、それ、先生のところでの測定誤差だよ、と(笑)。

 誤差だろうと(笑)。

西田 こんなもんでいちいち精密検査できるかと言って。で、しなかったんだけどね。

 もう、坂さんにしても僕にしても、70という年齢は、何かあって当たり前なんですよ。心臓が弱ってるとか、何かあって当たり前。でも、それが50歳で、まだ子どもがこれから大学行くとかいう時、そこには医療費をバーッと投入せんといかんけど、僕らはもう適当なところでいいと。

 僕の方は、実は今年の春、70歳になってすぐに勲章を頂いたんですよね(※編集部注:坂さんは17年4月に瑞宝重光章を受章)。役人をやっていましたから勲章というのは色々なところで触れる機会が多かったけど、自分が頂いてみてね、しかも70になってみると、今までいろんな人にすごくお世話になったなということをつくづく思いましたね。

 それと、僕は人生基本的には幸運に恵まれたなと。いろんな方、世話になった方たちにめぐり会えたというのもそうだし、やっぱり無事にここまで来れたし、すごくついていたなという、その感謝の気持ちみたいなものがね、ひしひしと湧きましたね。同時にね、これからも少しは世の中の役に立つようなことはするけど、基本的には仕事はほどほどにして楽しく生きようと。

 いやでもね、この本を読んでいて思ったけど、西田さんでも、奥さまが亡くなられたあと、8キロも痩せられたというのを聞くと、僕もね、妻には相当頼って生きているから、いま妻に死なれたりすると相当やばいなと思いますね。

西田 やせようと思ったわけじゃないのね。全く食欲が出てこないの。3カ月ぐらいね、食事というものがこの世から消えるような感じで。水は飲むよ。お茶とか、コーヒーとか。でもね、食事は「あ、きょう一回も食べてないよな」という感じなのよ。

 空腹感を感じないのかな?

西田 いや、精神的にものすごくストレスというか、何回も女房のことを思って、「あれもしてやったほうがよかったんじゃないだろうか、俺、し足りてないんじゃないだろうか」とかあるでしょ。そんなことが次から次、ごそごそと走馬灯のように過去を思い出してね。それから、未来的にも、これしてやらなきゃとか。そんなことがグワーッと頭の中に湧いてくる。それがちょうど四十九日なんだよね。四十九日と百か日。百か日って3カ月でしょ。やっぱり宗教というのはすごいなと。百か日の法要が過ぎたぐらいから「ああ、腹減った」と思ったわけ。やせようと思ったわけじゃないし、食べたくないというともまた違う、体が食物を必要としない状況なんだよね。たぶん、ホルモンバランスか何か変になっているんでしょうね。

 親が亡くなったときは、そんなことは起きなかったからね。

西田 起きない。

 やっぱり違うんでしょうね。

西田 違うのよ。

坂 幸い僕もここ4年ぐらいはやや時間ができましたから、年に1回ぐらいは夫婦で海外旅行に行くとかね。働いている頃はそういうことをできなかったわけですよ。夫婦で一緒に出かけるとかね。やはり増えましたね。

 そういう意味でもね、66歳ぐらいで常勤の仕事を辞めてよかったと思ってます。皆さんに「ご苦労さまでした」とかね「もっと続けていただけば」とか、いっぱい慰めてもらったんだけど、実は本人はね、辞めてもよかったかなって(笑)。

西田 僕もまだ大学で副学長職やっていたら、十分な事が出来ていなかったかもしれないね。それはたぶん神様から「次、おまえの女房が死ぬぞ」というのがあったんだと思ってる。坂さんなんかそうだけど、僕もどっちかいうと公のほうが中心で、私のことは我慢してでも公を優先するという人生だった。医者という職業がそうだよね。子どもとクリスマスに何かしようと約束してても、緊急手術が入った、きょう中止、と言って。

 だから、そういうのがあるから、もし僕が公の職に就いていたら、たぶん僕の性格では、女房をちゃんとしてやってないと思うんだ。でも公の職はいずれ、辞めるときが来るでしょ。そのときに、ものすごい後悔が来ると思うんだよ。

 そうでしょうね。

西田 うん。やっぱり世の中というのは、全部神さんがある程度全部レールを敷いていてね、ただ、僕らには知らされてないと。そのレールの終着駅が何年なのかも教えてくれてない。だから、ただひたすら走ってる限りは走っとかないといけないわけだね。でも、だから、そこにものすごい大いなる力というのが裏で動いてるんだと思うな。

関連書籍

西田輝夫『70歳、はじめての男独り暮らし おまけ人生も、また楽し』

定年後、癌で逝った妻。 淋しい、そして何ひとつできない家事……。 人生100年時代の、男の生き方がここにある。 抱腹絶倒、もらい泣き!? 「このまま私はボケるのか?」定年後の独り暮らしを描く、笑えて泣ける珠玉のエッセイ! 古希(70歳)を迎えた元大学教授が、愛妻を癌で亡くした。悲しみを癒す間もないままひとりぼっちの生活が始まるが、料理も洗濯も掃除も、すべてが初めてで悪戦苦闘。さらに孤独にも苦しめられるが、男はめげずに生き抜く方法を懸命に探す。「格好よく、愉しく生きるのよ」妻の遺言を胸に抱いて――。 <目次> はじめに 第一章 家事に殺される!? 〜オトコ、はじめての家事〜 第二章 男やもめが生きぬくための7つのルール 第三章 妻を亡くして 〜オトコ心の変化〜 第四章 妻がくれたもの 〜大きな不幸の先に大きな幸せが待つ〜 おわりに

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70歳、はじめての男独り暮らし

定年後、癌で妻を亡くした元・大学教授が語る、人生100年時代の男の生き方。

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西田輝夫 医学博士

1947年生まれ、大阪府出身。1971年大阪大学医学部卒業後、米国ボストンのスケペンス眼科研究所留学などを経て、1993年、山口大学医学部眼科学教室教授に就任。2001年米国角膜学会にて、日本人としては19年ぶり2人目となるカストロヴィエホ・メダル受賞する。2010年からは山口大学理事・副学長を務めた。2013年に退任後、旅行をゆっくりと楽しもうとした矢先、長年連れ添った妻が子宮頸がんのため帰らぬ人となる。現在は、医療法人松井医仁会大島眼科病院監事、(公財)日本アイバンク協会常務理事などを務めながら、妻が最後の数か月で教えてくれた家事技術をもとに、懸命に独り暮らしの日々を送っている。

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