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2017.12.06 公開 ポスト

『プライド』の冒頭50ページを特別先行公開!

髙田延彦 vs ヒクソン・グレイシーの真実が、20年の時を経て、初めて明かされる。金子達仁(ノンフィクション作家)

 結果的には大成功に終わった興行を手がけてみて、K-1にはこれまでやってきたイベントと大きく違う点があることに、榊原は気づいた。海水浴場やスキー場になくて、レインボーホールにあったのは、観客が発する原始的かつ爆発的な熱量である。

 翌1995年、東海テレビと榊原はK-1の軽量版ともいうべきK─3グランプリという大会を夏に、年末にはK-1ヘラクレスという大会を名古屋で開催する。この時の収益は前年には及ばなかったものの、K-1自体の人気はうなぎ登りに高まっていった。

 そんな時だった。

「10月9日、東京ドームで新日本プロレスとUインターの全面対抗戦があった。6万7000人が入った。6万7000人ですよ! それほどとてつもない集客力のあるイベントなのであれば、何とか名古屋に持ってこられないかな、と思ったんです」

 K-1の興行に携わっているうち、榊原には格闘技、プロレス関係の人脈が育ちつつあった。その中の一人に、鈴木健という人物がいた。もともとは髙田延彦のファンクラブ会長だった鈴木は、Uインターの発足を機にフロントの核となり、社長という肩書を背負う髙田を陰になり日向になり支え続けた男である。

 その鈴木から、榊原に電話が入った。

「Uインターが持ってる全面対抗戦の興行権を買わないかっていう電話でした。新日本が興行を打つ時は新日本に興行権があるけど、Uインターの興行の時はこっちに興行権があるから、名古屋大会の権利、買ってくれないかって。新日本からもUインターからも目玉選手は出るって話だったので、それはぜひやりたいなあと」

 K-1を名古屋に持ってきたことで、社内における榊原の立場、発言力は以前よりも明らかに強くなっていた。

「あの当時、K-1は本当にチケットが取りにくくなってましたから、そんなイベントに関わってる榊原は凄いな、みたいな感じは確かにあったと思います。そういう空気が、さらにいろんなことをやりやすくしてくれて、Uインターと新日本の対抗戦をやろうと提案した時も、誰からも反対はされませんでした。榊原がやるんだから、また人は入るんじゃないのって」

 社内からの反対はなかった。ただ、いささか調子に乗っているように見える榊原に苦言を呈した人間がいなかったわけではない。

 石井和義である。

「K-1の仕事やってるのに、他のものをやるのはどうなのよって。バラちゃんはK-1をやってることに誇りとこだわりを持ってくれてると思ってたのになあって」

 内心では、石井の言葉に深く頷く榊原だった。

「石井館長の立場であれば、当然そう思いますよね。K-1という立ち技のトーナメントに関わってる人間が、一方でプロレスもやろうとしてる。なんだ、K-1もプロレスも一緒かよって思う人は必ず出てくる。館長からすれば、不愉快な話ですよ」

 とはいえ、榊原には榊原なりの事情もあった。

「K-1に対する愛着や石井館長へのリスペクトがなかったのかといわれれば、そんなことはない。もちろんある。強く、ある。でも、名古屋のテレビ局の事業マンとしては、年に1回、あっても2回しか名古屋での興行がないK-1だけでは食べていけませんから、いろんなものに食指を動かしていかなきゃならない。なので、石井館長には手紙を書きました」

 自分の気持ちはあくまでもK-1にある。けれども、東海テレビとしては新規事業を立ち上げる必要がある──そんな内容の手紙だった。精一杯の思いを込めた手紙が奏功したのか、苦言を呈してきた石井館長との関係がそれ以上悪化することはなかった。

 この頃の榊原は、あくまでも東海テレビ事業の社員だった。

「ああいう仕事をしていると、イベントをやっているうちに連帯感が芽生えてきて、じゃあ一緒に会社でもやろうかってなるパターン、結構あるんですけど、ぼくの場合は東海テレビ事業を辞めようとか、軸足を完全に格闘技の方に置こうとか、そういう発想は間違ってもなかったですね。会社の看板あっての自分だと思ってました」

 K-1は仕事のワン・オブ・ゼム。Uインターとの仕事もワン・オブ・ゼム。熱中はしつつも、それが名古屋の若きヒットメーカーと見なされつつあった男の仕事のスタンスだった。

 ただ、自分を信頼してくれていた石井の不興を買ってまで手に入れたUインターの興行は、成功とは言い難い結果に終わった。

「最初の話はUインターが主催する新日本プロレスとの全面対抗戦ということだったんですが、一向に対戦カードが決まらない。いまから思えばそれも当然で、フジテレビ系列の東海テレビが番組を作ろうとしている大会に、テレビ朝日でレギュラー番組を持ってる新日本の選手がそう簡単に出られるはずがない。結局、新日本の選手はほとんど誰も出てこずで、とても対抗戦という雰囲気ではなく、Uインターの名古屋大会にスペシャルゲストが何人か出てきた、みたいな大会になっちゃったんです」

 幸い、この程度の失敗なら問題にならないぐらい、社内における榊原の立場は安泰だった。とはいえ、盛り上がらないままメインイベントが終わった時、漠然とではあるが彼は感じていた。

 この人たちと仕事をすることは、もうないだろうな。

 だから、Uインターの社長でもある髙田延彦と、打ち上げをかねて食事に出かけたのは、単なる社交上の礼儀以外の何物でもなかった。

 そこに寺尾が加わり、食事を終えて移動した次の店に広島カープの選手たちがいて、酒宴がとんでもない盛り上がりを見せるなど、榊原信行はまるで予想していなかった。

 まるで。

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金子達仁 ノンフィクション作家

1966年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒。サッカー専門誌の編集部記者を経て、95年独立。96年、Sports Graphic Number誌に掲載された「断層」「叫び」で、ミズノスポーツライター賞受賞。『28年目のハーフタイム』『決戦前夜』『ターニングポイント』『泣き虫』『熱病フットボール』など著書多数。近著には、義足アスリート・中西麻耶の壮絶な生き様に迫った「ラスト・ワン」がある。

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