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2017.12.06 公開 ポスト

『プライド』の冒頭50ページを特別先行公開!

髙田延彦 vs ヒクソン・グレイシーの真実が、20年の時を経て、初めて明かされる。金子達仁(ノンフィクション作家)

 髙田が名古屋のラウンジで広島カープの選手と出会い、久しぶりに負の感情をかきたてるスイッチの存在を忘れることができたのは、4の字固めで敗れた日から約8カ月後の出来事だった。

 寺尾と髙田が巻き起こした酒の暴風雨は、あたりにいた者すべてを巻き込んだ。

 それは、愛知県名古屋市に本社を置くテレビ局の子会社「東海テレビ事業」の若手社員だった榊原信行も例外ではなかった。

 バブル期を経験しているマスコミの人間としては珍しく、普段の彼はほとんど酒を飲まなかった。だが、この日初めて出会った格闘家たちは、飽きることなく出席者との乾杯を繰り返した。

 一般人に比べれば酒豪の多いプロ野球の世界の人間でさえ、驚愕するほどの飲みっぷりに、酒に対する免疫のない榊原がついていけるはずもない。

 後になって、彼は不思議に思ったことがある。

 なぜ、あの日の自分は、意識を失わなかったのだろう?

 失っていても当然の酒量を、強要されていたにもかかわらず。

 髙田延彦がこの世に生を受けてからおよそ1年7カ月後の1963年11月18日に生まれ、知多半島東海岸の中部に位置する愛知県半田市で榊原信行は育った。

 愛知県立半田高校ではサッカー、愛知大学ではウィンドサーフィンに熱中した彼が、社会人になってやりたかったのは「祭り」だった。

「子供の頃、ボーイスカウトをやってた影響なのかなあ。漠然と、とにかくみんながひとつの場所に集まってワーッて盛り上がることを企画するのが大好きで、どうせ社会人になるんだったら、そういう場を作りたいなって思ったんですよ」

 彼が大学を卒業しようとしていたのは、日本経済がバブル期にまさに突入せんとしている時期である。多くの学生が、就職とは「させてもらうもの」ではなく「してやるもの」と勘違いしていたぐらい会社選びが容易な時代だったが、榊原が憧れた「祭りを作る側」の会社に入るのは、簡単なことではなかった。

 たとえば大手の広告代理店。たとえば首都圏もしくは大都市のテレビ局。

 そこに入りさえすれば何とかなる。そう考えて片っ端からエントリーシートを提出した榊原だったが、結果は無残なものだった。

 全戦全敗。

 電通。博報堂。アサツーディ・ケイ。大広。アイアンドエス。東急エージェンシー。中京テレビ。中部日本放送。そして、NHK。

 ほとんどの会社は、送られてきた榊原からの履歴書をそのまま不採用の箱に放り投げただけのようだったが、1社だけ、採用か不採用か、ギリギリまで判断を引っ張った会社があった。

 愛知県名古屋市に本社を置く、フジテレビの系列局「東海テレビ放送」である。

「どういうわけか、ここだけ最終選考まで残れたんですよ。あとは、面接どころか書類選考、2次選考の段階でハネられてたところがほとんどだったのに」

 他の会社からは早々に「不採用」の通知が届いている。ここで落ちたらもうあとはない。背水の陣で臨んだ榊原だったが、数日後、家のポストに届いたのはまたしても「不採用」の通知だった。

 自分なりの手応えを感じていただけに、ショックは大きかった。だが、大きすぎたショックと、どうしても祭りを作る側に回りたいという強い思いが、無名の大学4年生だった榊原に思わぬ勇気を与えた。

「アポなしで東海テレビの受付に押しかけて、就職試験を受けたこういう者ですけど、人事部の方をお願いできますか? なぜ落ちたのか、なぜダメだったのかを教えてもらえませんか? ってやったんです」

 なにしろ、アポなしである。受付が取り合わないか、取り次がれた本人が居留守を使っていれば、そこで榊原の冒険は終わっていた。ところが、受付は前のめりで訴えてくる大学生を取り次ぎ、取り次がれた側は面倒くさがらずに受付まで下りてきてくれた。

「確か、山川さんという人事部の方だったと思います。その方が東海テレビの9階まで連れていってくれて、そこで話を聞いてくれたんです。必死で自分の思いの丈を伝えましたよ。どれだけ自分がこの会社に入りたいか、どれだけこの会社に入ったら貢献できるかって。実は、一番行きたかったのは、早々に落とされた中京テレビだったんですけどね」

 就職希望者が殺到するテレビ局の採用担当者からすれば、目前にいる愛知大学4年生が振るう熱弁は、多くの学生がいけしゃあしゃあと口にする常套句、手垢のついた美辞麗句と大差がなかったはずである。ただ、不採用を告げられた後、わざわざ会社まで乗り込んでくる学生となると、そうはいなかったということなのだろう。担当者は榊原の言葉に静かに耳を傾け、最後にこう言った。

 あなたの思いはわかりました。上にも伝えておきますね。

 1週間後、榊原の自宅に手紙が届いた。

「東海テレビ放送としては採用できないけれど、東海テレビ事業という会社の方で社員を募集することになりました。榊原君はイベントをやりたいようだし、もしやる気があるようだったらもう一度面接を受けてみないか。そんな感じの手紙でした」

 もちろん、やる気はあった。喜び勇んで再試験に臨んだ榊原は、役員10人から1時間ほど質問を浴びまくる、という難関も突破し、見事、東海テレビ事業の社員となった。

「入社して最初の研修で配属されたのは、商事部でした。商事部っていうのは、テレビショッピングをやってる部署で、昼間や深夜の時間帯に指輪を売ったりする通信販売の走りでした。次に映像事業部に研修として配属され、東海テレビで作った番組や中日ドラゴンズの優勝までの軌跡をVHSのビデオにして販売したりとか。そうそう、映画会社の東映が作ったビデオを中部地方で販売する権利も持ってたので、それを売ったりとかもしてましたね。その後、正式に事業部へ配属されました」

 初任給は15万円程度だった。時代がバブルど真ん中だったことを思えば、決して高いとはいえない額だが、榊原に不満はなかった。

「証券会社とかに就職してたらもっと給料はよかったんでしょうけど、ま、こんなもんだろうなって感じでしたね。福利厚生はしっかりしてたし、社員食堂は食券をもらえるので実質的にはタダ。あと、残業代がしっかりつくんですよ。それも、自己申告制で。タイムカードというものがないので、今日は夜の7時から10時まで残業やりましたって申告しておけば、それでオッケーだったんです」

 会社と仕事に慣れてくると、やりたいこと、やってみたいことが次から次へと出てきた。彼は上司に企画を提案し続け、その中のいくつかは東海テレビ事業にとっても大きな利益をもたらすイベントへと成長した。

 夏のビッグイベントとして楽しみにしている愛知県民も多い、知多郡美浜町の小野浦海水浴場を会場とする「美浜海遊祭」は、まだ若手社員だった頃の榊原が立ち上げた企画のひとつである。ウィンドサーフィンを愛し、祭りを愛し、人を集める仕事がやってみたかったという男にとっては、やりたかったことすべてが詰まったイベントでもあった。

 美浜海遊祭が軌道に乗ったことで、榊原は会社から一定の裁量権を委ねられるようになった。いってみれば、ある種のフリーハンド。会社側が、榊原がやってみたいことであれば、と認めるようになったということである。

「いろいろやらせてもらいましたよ。岐阜県にダイナランドというスキー場があるんですけど、そこを使って『ダイナランド・スノーフェスティバル』っていうチャラいイベントもやりました。各大学のミスコン代表者を集めて、そこでナンバーワンの中のナンバーワンを決める。で、それを東海テレビで番組化する。あるいは、東海テレビ全体でやる文化的なクラシックのコンサートとか、ちょうどぼく自身がゴルフを始めた時期でもあったので、ゴルフのイベントを企画して、ついでに自分もゴルフ場に行っちゃおう、とか」

 好きこそものの上手なれ、という言葉があるが、祭りを作りたい一心でこの業界にもぐり込んだ榊原にとって、仕事と遊びは極めて近しい関係にあった。純粋に自分自身がやりたい、やってみたいという企画に、社会人として身につけたスキルで肉づけをしていく。残業時間は長くなる一方だったが、そのことによるストレスを感じることはなかった。

 入社して7年目、彼は仕事で知り合ったアイドルグループのマネージャーから、ある格闘技イベントが東京で人気を集めつつある、という話を聞かされる。

 K-1というイベントだった。

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金子達仁 ノンフィクション作家

1966年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒。サッカー専門誌の編集部記者を経て、95年独立。96年、Sports Graphic Number誌に掲載された「断層」「叫び」で、ミズノスポーツライター賞受賞。『28年目のハーフタイム』『決戦前夜』『ターニングポイント』『泣き虫』『熱病フットボール』など著書多数。近著には、義足アスリート・中西麻耶の壮絶な生き様に迫った「ラスト・ワン」がある。

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