老中・乗邑からの意地悪な挑戦に兵庫は…
それから間もなく乗邑が相役の水野監物と連れ立ってやって来た。
監物は歳は五十半ばで、一昨年、幕府財政を統べる勝手掛老中に就いていた。吉宗が自ら抜擢して享保の改革を主導させている幕閣の実力者で、世間からは聡明比類なしと言われていた。諸藩に献米を命じる上米令や、役務の間だけ禄高を上げる足高の制は監物が主導したもので、各地での新田開発もその献策で始まっていた。
ただそのぶん庶民には厳しく臨み、城下ではたびたび落書などであげつらわれていた。だが人柄は廉直で、相手によって遣り口を変えるといった姑息さは一切なかった。
二人は忠相の向かいに腰を下ろすと、監物がさっそく柔和な顔つきになった。
「近ごろの長福丸様は癇癪も起こされず、押し出しも増されたようじゃ。大岡兵庫とやら、たいそう慎み深うて智恵も回るようではないか」
己が褒められたようで、忠相はどんな顔をすればいいのか分からなかった。
「口のきけぬ苦しみをあれほど分け持ってやれる者もおるまい、と」
「左様。上様もお褒めであったのう」
気を利かせて言った乗邑に、監物も諾った。
そこへ外廊下から声がして、忠相たちは皆、ぎょっとした。
自ら障子を開いて、吉宗が顔を覗かせた。
「乗邑はなかなか、余の声音が上手いではないか」
気さくに軽口を叩くと、笑って腰を下ろした。
吉宗は元来が紀州藩の部屋住みという育ちのせいか開け広げで、気軽に御城の中を歩き回っていた。拳を握りこむと力こぶもできるほど逞しいが、中身は温和で周りも接しやすかった。忠相は一度、町火消が出来たときにわっと喜んで肩を組んでこられたことがあるが、あのときの感激は忘れられない。忠相は吉宗には、将軍というより親方船頭のような頼もしさを感じていた。
そしてなにより頭の冴えが常人の比ではなかった。忠相は幕閣生え抜きの老中たちと同座すると、あまりの聡明さに冷や汗をかくことが多いが、その老中たちが、吉宗の前では揃って頭を垂れていた。
「此度はまこと、得難い小姓が見つかったものでございますな、上様。これならば長福丸様は、ご元服あそばしても恙なくお過ごしになられますぞ」
吉宗は上機嫌で監物にうなずき、しわぶきを一つ挟んだ。
「どうじゃ、乗邑も、兵庫とやらの子柄は気に入っておるか」
「はい。随分と聡いようでございますので。先達て、それがしは能登守と相計らい、日本橋に掲げた高札について話し聞かせたのでございますが」
たちまち吉宗が冗談めかした顰め面をした。
「さすが乗邑は、子供相手に容赦がないのう」
「なに、十六でございましょう。ただの小手調べにございます」
乗邑が小気味よく笑うと、切れ長の目が優しげに垂れた。監物は二人の話に入ることができずに、ぼんやりと口を結んでいた。
「して、何をしたのじゃ」
「話が一段落したところで、はじめから繰り返してみよと命じたのでございますが」
「ほう。どうなった」
「なんとも見事なもので、感心いたしました」
兵庫は、聞いたまま繰り返すのかと念を押してから、ほぼ疎漏なく乗邑たちの話を諳んじてみせたという。
「いやはや、驚きました。上様仰せの如く、それがしは意地が悪うございますゆえ、元から試す目論見でした。わざと話を散らして、日本橋の高札を皮切りに、拓かれつつある新田の名を、ざっと並べましてな」
思わず忠相は吉宗と目が合ってしまった。老中のなかでも切れ者の乗邑相手に、御城に登って日も浅い少年が、痛ましいことだ。
「飯沼に武蔵野に、紫雲寺潟。立て板に水とばかりに早口でまくし立てたのでございますが、全く言い飛ばしませんでしたな」
しかも話の途中で乗邑たちは優しげな作り笑いを浮かべ、我らは祖父が兄弟のはとこにあたるなどと話し、各々の父と祖父の名まで挙げたという。
「そうか。乗邑と能登守ははとこか」
「左様にございます」
「なんとのう。余でも覚えておられぬわ」
「お戯れを。まあしかし、幕閣に呼び出されたとなれば、他の小姓でも似たようなことは致すと存じますが」
「そのわりに、わざわざ余に聞かせるのではないか」
「はい。まるで天が長福丸様のために誂えたかに思いましたゆえ」
監物がそわそわと尻を動かした。
「こうとなれば、もはや長福丸様を若君様とお呼びさせられては如何でございますか」
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